藤壺の中宮は、故桐壺院の一周忌の御法要に引きつづいて、法華八講の御準備を、あれこれとお心づかい遊ばすのでした。十一月の初めごろ、故院の御命日の御国忌みこき
に日には、雪がたいそう振りました。源氏の君から中宮にお手紙をさし上げます。 |
わかれにし
今日けふ は来れども 見し人に ゆきあふほどを
いつと頼まむ (院にお別れした御命日が 、まためぐって来たけれど 亡き人にふたたび 会えるのはいつの日と 頼りに待っていいものか) |
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どちらでも、今日はもの悲しくお思いになる時なので、中宮からも御返事がありました。
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ながらふる ほどは憂けれど
ゆきめぐり 今日はその世に あふ心地して (ひとり残され 生きながらえる この辛さの中にも 御命日にめぐりあい 昔の時にかえったよう) |
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ことさら取りつくろってもいらっしゃらないお書きぶりですけれど、上品で気高く拝されるのは、源氏の君の中宮への思いこみによるのでしょう。お筆跡は書風が特異で、当世風といのではありませんが、人よりは見事にお書きになっていらっしゃいます。 源氏の君は、今日だけは中宮への恋心も抑えられて、心に染みる雪の雫しずく
に涙を誘われながら勤行なさるのでした。 十二月十余日ごろ、中宮御八講みはっこう
が催されます。それはこれ以上ない荘厳さでございました。毎日御供養遊ばす経巻をはじめとして、玉の軸、羅ら
の表紙、帙ちつ の装飾も、この世に類いないほど御立派に御調製になりました。 普通の御催しさえ、中宮はいつも並々でなく御立派にあそばされます。ましてこの法会ほうえ
の場合は御もっともなことでした。御仏みほとけ
のお飾り、花机の覆おお いなどまで、極楽浄土はこのようかとまで思いやられます。 初日は、中宮の父帝の御供養、第二日は母后の御ため、翌第三日は桐壺院の御追善。この日が法華経の第五巻を講ずる大切な日なので、上達部なども右大臣家へ気がねばかりもしていらっしゃれないで、まことに大勢の方々が参列なさいました。 今日の講師こうじ
は、特別に高僧をお選びなさいましたので、<薪たきぎ
こる> の声明しょうみょう
を唱える行道ぎょうどう のあたりからはじめ、声を揃えて声明をあげる僧たちの言葉も、特に尊く聞こえます。 親王みこ
たちもさまざまな御供物をさしあげて行道なさいますが、源氏の君の御趣向などは、とりわけすぐれていた、他に比べようもありません。 いつも同じ源氏の君礼讃ばかりを繰り返すようですが、お会いする度毎に、すばらしい極みなので、どうにもいたし方がございません。 最後の日は、中宮自身の祈願と立願をなさり、御落飾遊ばすよしを、導師の僧から御仏に申し上げました。 それを聞いた人々は、誰も彼も驚愕いたしました。兵部卿の宮や源氏の君の御心も動転なさり、これは一体どうしたことかと茫然自失なさいます。 兵部卿の宮は、御法会の途中で座をお立ちになり、御簾みす
のうちの中宮の御座所へお入りになりました。中宮は、固い御決意の程を心強くおお告げになられて、法要が終る頃に、比叡山のお座主ざす
をお召しになられて、戒かい をお受けになる由を仰せられました。 御伯父君の横川よかわ
の僧都そうず が、お側近く参って、お髪ぐし
をおそぎになる時には、御殿のうちがどよめいて、不吉なまでに泣き声が満ちわたりました。どういう身分でもない老い衰えた者でさえ、いよいよこれから出家しようという時には、何ともいえず悲しくなるものですのに、まして女盛りの中宮は、これまでおくびにも気配をお示しにならなかったことですから、兄君の兵部卿の宮もたいそうお泣きになります。 そこに参会していた人々も、この法会のすべてに感動して尊く感じていました折柄なので、尚更、御落飾の衝撃で、どなたもみな涙に袖を濡らしてお帰りになるのでした。 故院の御子みこ
たちは、昔の中宮の御栄華のさまをお思い出しになるにつけても、ますますお気の毒で、あわれに悲しくお思いになり、どなたも御慰問申し上げます。 |