源氏の君は、あの時、頭の弁が史記の一節をあてつけがましく口ずいさんでいたことをお考えになるにつけて、朧月夜の尚侍
の君のことでお心が咎めて、世の中をわずらわしくお思いになります。それで尚侍に君にもお便りをさしあげないまま、久しく日が過ぎていきました。 初時雨はつしぐれ
が、早くも降りそめた頃、何と思われたものか。尚侍の君から、 |
木枯こがらし
の 吹くにつけつつ 待ちし間に おぼつかなさの ころも経へ
にけり (木枯らしの吹くにつけても 風がお便りを運んで来るかと 待っている間に もどかしく思う時も 過ぎ去ってしまった) |
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と、お手紙がまいりました。季節もあわれ深い時雨の秋ではあり、無理をしてこっそりお書きになったに違いない尚侍の君のお心のうちもいとしいので、お手紙のお使いを引き止められて、唐から
の紙などをお入れになっている御厨子みずし
をお開けになり、とりわけて上等な紙を選び出されて、筆なども殊に念入りにお選びになっていらっしゃる御様子が、いかにも常よりなまめかしくお見えになります。 お前の女房たちは、こんなにお心を込められるお手紙のお相手は、いったいどなたかしらと、突っつきあっているのでした。 「お便りをさしあげたところで、何の甲斐もないのに懲りてしまいまして、すっかり気持が沈んでおりました。ただもう自分ひとりだけが情けなく思われ嘆いている間に、あなたから待たれるほど日が過ぎて」 |
あひ見ずて
しのぶる頃の 涙をも なべての空の しぐれとや見る (あなたに逢えなくて 恋しさに耐えている この頃のわたしの涙なのに
この時雨をあなたは わたしの涙と気づかない) |
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「お互いに心が通い合うのでしたら、どんなに長雨の侘しい空を眺めてした物思いも、忘れることが出来ましょうものを」 などと、つい情のこもった手紙になってしまうのでした。 こんなふうに折節おりふし
によせてお便りをさしあげる女君たちも多いようですが、源氏の君は薄情だと思われない程度にお返事をなさって、お心には深くもとどめていらっしゃらないのでしょう。 |