源氏の君は、東宮をたいそう恋しく思ってはいらっしゃいますけれど、藤壺の中宮のあまりといえば情
ない冷淡さを、時々は、中宮御自身にも思い悟らせてさしあげようと、東宮にお逢いしたいのをつとめて我慢なさりながら過ごしていらっしゃいます。 そんなふうで、人の手前も見苦しいほど、何事にも手がおつきになれないので、秋の野の風景を御覧になりがてら、雲林院うんりんいん
に御参詣になりました。亡き御母桐壺御息所の御兄の律師りっし
が、お籠りになっておられる僧房で、経典などを読み、勤行ごんぎょう
をしようとお思いになり、二、三日御逗留なさる間にも、お心に深く感じ入られることが多いのでした。 あたりの紅葉がようやく色づいてきて、秋の野のいかにもあでやかで美しい景色を御覧になりますと、住み馴れた都のわが家のこともつい忘れてしまいそうな御気分になられます。 法師たちの学才のある者を残らずお召し出しになり、論議をさせてお聴きになります。雲林院という所のせいもあって、しみじみ世の無常をお考えになり、夜通し眠りもせず、朝をお迎えになることもあります。 それでもやはり
<憂き人しもぞ恋しかりける> の古歌のように、つれないお方のことばかりが思い出される明け方の月の光の中に、法師たちがみ仏に閼伽水あかみず
やお花を奉ろうとして、からからと花皿を鳴らしながら洗い、菊の花や、紅葉の色の濃いのや薄いのを、折り散らしてあるのも、さりげないことですが、こうした仏道のお勤めは、この世では退屈が慰められ、執着も残らず来世のためにはまた、頼もしいように思われます。 それにひきかえ、何とまあ情けないわが身は苦しみ悩むことよ、などと考えつづけていらっしゃいます。律師がたいそう貴い声で、
「念仏衆生摂取不捨ねんぶつしゅじょうせっしゅふしゃ」
と、声を長く引きのばして誦とな
えていられるのが、たいそう羨ましく、なぜ自分は出家出来ないのかとお思いになりますと、まずあの紫の上のことが心にかかって思い出されるのは、何とも未練がましい困ったお心でございます。 いつになく長い日数が過ぎてしまい、しきりに紫の上のことが気がかりにおなりなので、源氏の君は手紙だけは度度さしあげていらっしゃるようでした。 「世を捨て仏道へ出家出来るだろうかと、試しにここに来てみたのですが、やはり無聊ぶりょう
も慰めることが出来ず、かえって心細さがつのってきます。まだ僧侶に聞き残した仏道の教えのことなどがあるので、もうしばらくここに滞在しているつもりですが、あなたはどうしていらっしゃいますか」 など陸奥紙みちのくがみ
にあっさりとお書きになったのまでが、とても結構なのでした。 |
浅茅生あさぢふ
の 露のやどりに 君をおきて 四方よも
の嵐ぞ 静心しずこころ なき (浅茅生の露のように
はかないわが家に あなたひとりを置いて 四方の嵐を聞くにつけ どうしているかと気にかかる) |
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などと、情のこもった書きぶりに、紫の上もお泣きになりました。お返事は白い紙に、 |
風吹けば
まづぞみだるる 色かはる 浅茅が露に かかるささがに (色あせ枯れた浅茅の露に かかっている蜘蛛の糸は 風が吹けばすぐ乱れる
風のように移り気なあなたに わたしの心も乱される) |
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とだけ書いてあります。源氏の君は、 「字はほんとうに見る見る上手になられたものだ」 と、ひとりごとをおっしゃって、可愛い人だと微笑んでいらっしゃいます。始終お手紙のやりとりをなさるので、源氏の君の御筆跡にたいそうよく似てこられて、それにもう少し優美な女らしい風情が添っています。 何事につけても不足なところのないように、われながらよく育てあげたものだと、源氏の君は御満足なのでした。 |