藤壺の中宮も、あの夜のお悩みが後をひいて、御気分がすぐれません。源氏の君がこうわざとらしく引き籠られて、お便りもなさらないのを、王脳婦などは、お気の毒に存じ上げています。 中宮も東宮のおためをお考えになりますと、源氏の君とお心を隔てるようになっては不都合だし、それが原因で源氏の君がこの世を厭わしく味気なく思われて、一途に出家をなさるようなことがあってはと、さすがに心苦しく御案じなさいます。 けれどもまた、源氏の君とのこうした関係がつづくならただでさえうるさい世間に、いやな浮き名まで漏れ流されることになりかねないだろう。いっそのこと、弘徽殿の大后がけしからぬことだと怒っていらっしゃる中宮の位もこの際自分から降りてしまおうかと、しだいにお心を固めていらっしゃるのでした。 故桐壺院が後々のことを御配慮になり、御遺言もなさったことの、並々でないお心づかいの有り難さを思い出されるにつけても、何もかも、昔とはすっかり変わってゆく世の中と思われます。 漢の高祖の愛妃、戚
夫人ふじん が、呂太后りょたいこう
から受けたようなひどい目にはあわなくても、やがて必ず、世間の笑い物にされるようなことがわが身の上にも起こるに違いないだろうなどと、お考えになり、世の中がうとましく、生きにくくお思いになりますので、中宮は、いっそ出家しようと御決意をなさいました。それでもこのまま東宮にお会いしないで尼姿になってしまうのは、しみじみせつなく悲しいので、お忍びで参内なさいました。 源氏の君は、いつもはそれほどのことでなくても、中宮に対してお気のつかぬことはないほど至れり尽くせりの御奉仕をなさいますのに、今度は御気分のすぐれないのを口実にして、参内のお供にもいらっしゃいません。一通りの御世話はこれまでと同じになさいますけれど、すっかりふさぎ込んでいらっしゃると、事情を知っている王命婦や弁はお気の毒に思うのでした。 東宮はたいそう可愛らしく御成長遊ばして、母君の御参内を珍しくも嬉しくもお思いになられて、まつわりついていらっしゃるのを、つくづくといとおしくお思いになるにつけても、御出家のお覚悟は遂げられそうにも思われません。それでも宮中の様子を何かと御覧なさるにつけても、世の有り様がはかなく悲しく、何事も移り変わることばかりが多いのにお気づきになります。 大后のお心のうちもたいそう面倒で難しく、こうして宮中にお出入りなさるのも、何かにつけて居たたまれない思いがしてお辛いのです。これでは東宮の御為にも行く末が危あや
うく不安で、何か不吉なことが起こるのではないかと、万事につけて御心配なので、 「これから長くお目にかからないうちに、わたしの姿や顔が今のようでなく変なふうに変わってしまったら、東宮さまはどうお思いになるでしょうね」 と申し上げますと、東宮は母君のお顔をじっと御覧になりながら、 「式部のようになるのですか。どうしてあんなに変なお顔になられることがあるものですか」 と、笑いながら仰せになります。あまりの頑是がんぜ
なさに、いじらしくてお胸もせまり、 「式部は年をとったので醜くなったのですよ。そうではなくて、髪は式部よりも短くなり、黒い着物など着て、あの夜居よい
の僧のような姿になろうと思います。そうなれば、東宮さまにお逢いすることも、今よりずっと間遠まどお
になるでしょう」 と、お泣きになりますと、東宮は真顔になって、 「今だって、長くお越しにならないと、恋しくてなりませんのに」 と、おっしゃって涙がこぼれ落ちるのを、恥ずかしがられて、さすがにお顔をそむけていらっしゃいます。 そのお髪ぐし
はゆらゆらと垂れて美しく、目つきがつやつやとして人なつこく、こぼれるような愛嬌がおありになる御様子は、大きくなられるにつれて、ただもうあの源氏の君のお顔を、そっくりそのままお写ししたように似ていらっしゃいます。少し虫歯で、お口の中が黒みがかって、にこにこしていらっしゃる、そのほのぼのとしたお可愛らしさといったら、女にして拝したいほどおきれいです。ほんとうにこれほどまでに、源氏の君に似ていらっしゃるのが心苦しく、それだけが玉の瑕きず
だとお思いになるのも、中宮は世間の口のわずらわしさを、空恐ろしくお考えになるからでした。 |