〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/02/03 (水) 

賢 木 (十三)

夜が明けはててしまいましたので、王命婦と弁の二人ががりで、早くお帰り下さらないと、大変なことにまりますと、きつくおいさめします。一方、中宮は、なかば死んだような御様子なのが、源氏の君はおいたわしくてならず、
「こんな目にあいながら、まだこの世に生きながらえているのかと、お耳の入りますのも、たまらなく恥ずかしいので、このまま死んでしまいたいのですが、それもまた、来世の罪障となることでしょうし」
などと申し上げまして、恐ろしいほど思いつめていらっしゃいます。
逢ふことの かたきを今日けふ に 限らずば 今いく世をか なげきつつ
(お逢いする難しさが 今日に限らずつづくなら この嘆きをくりかえし あなたを思いつづけよう)
「この私の執念が、あなたの来世のお障りにもなるkとでしょう」
と、申し上げられますと、中宮はさすがに溜息をおつきになって、
ながき世の うらみを人に 残しても かつは心を あだと知らなむ
(未来永劫に つきない怨みを 私に残されても それは所詮あなたの 浮気のせいなのに)
と、なにげないふうに、取りつくろっておっしゃる御様子は、言いようもなくお心をひかれますけれど、中宮が今、どう思っていらっしゃるか遠慮されもし、なた御自身にとってもそこにいるのはあまろに辛いので、夢うつつのようなお気持のまま、茫然ぼうぜん とお帰りになりました。
「何の面目あって、再び中宮にお目にかかれよう。せめて中宮が自分を不憫ふびん な目にあわせたと、さとって下さるように」
と、お考えになって、それ以来わざとお手紙もさしあげず、その後はふっつりと、宮中にも東宮御所にも参上なさいません。
源氏の君はずっと二条の院にお籠りになっていらっしゃって、寝ても覚めても、何というつれない中宮のお心だろうかと、ひたすら恋しく悲しがっていらっしゃいます。傍目はため にも見苦しいほどに苦しさをこらえられず、魂も抜け失せてしまったのでしょうか。すっかり病人のようになっていらっしゃるのでした。ただただ心細くて、
「なぜまだこうして生きているのか、この憂き世に永らえていればこそ、苦悩も増すばかりなのだ。今こそ出家をしよう」
と、思い立たれますものの、紫の上がたいそういじらしい御様子で、心から源氏の君に頼りきっていらっしゃるのを、振り捨てて出家することは、とてもむずかしいことなのでした。
源氏物語 (巻二) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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