〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/01/30 (土) 

賢 木 (十)

こうしたことがあるにつけても、自分を寄せつけずどこまでも冷たくなさる藤壺の中宮のお心を、源氏の君はお心の一方では御立派だと感心なさるのでした。けれどもまた、一方の身勝手な気持からすれば、やはり辛く、恨めしくお思いになることが多いのです。藤壺の中宮は、この頃宮中に参られるのは、お若い時がじめて入内じゅだい された頃のように面映おもは ゆく、気づまりのようにお感じになられて、つい参内さんだい を怠り、久しく東宮にもお目にかからないことを、気がかりにも心許こころもと なくお思いになっていらっしゃいます。ほかに頼りにされる方もいらっしゃらないので、ひたすら源氏の君だけを、何かにつけて頼りになさいます。
けれども、源氏の君の方ではまだあの困った御執心が消えてはいらっしゃらないので、中宮は、ともすればお胸のつぶれる思いをなさることがあるのです。故院が、少しもこの秘密をお気づきにならないまま、お亡くなりになられたことを思うのさえ、空恐ろしいのに、今さらまた、二人の間にそうした噂が立ったなら、自分の身はどうなってもいいとしても、東宮のおために、きっと不吉なことが起こるだろうと御心配になります。もし、そうなればほんとうに恐ろしいので、御祈祷ごきとう までおさせになって、源氏の君にこの恋を思いあきらめていただこうとして、思いつく限りの手を尽くして、お避けになっていらっしゃいました。
それなのに、どうした折をとらえられたものか、思いもかけず、源氏の君は中宮のお側近くまで忍んでいらっしゃったのでした。慎重に御計画なさってのことなので、そてに気づいた女房もいなくて、はかない逢瀬をただ夢のようにお思いになります。
源氏の君は、筆には書きつくせないほど、切々と思いのたけをお訴えになりますけれど、中宮はいよいよこの上もなく冷たくおあしらいになり、しまいにはお胸がたいそう差し込まれ、たまらなくお苦しみになられました。お側近くに控えていた王命婦うあ弁などが、いたましさに驚きあわてて御介抱申し上げます。
源氏の君は、あまりな中宮のつれなさを、情けなく恨めしいと、限りなくお嘆きになるにるれ、過去も未来も、ただもう真っ暗になったような気持がして、理性も失われてしまわれましたので、夜もすっかり明けきったのに、そのお部屋からお出になろうともなさいません。
源氏物語 (巻二) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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