賀茂の斎院は御父桐壺院の御喪に服されて、斎院をお下がりになりました。代わりに桃園式部卿の宮みや
の御娘、朝顔の姫君が斎院にお立ちになりました。賀茂の斎院には帝の御孫がお立ちになる例は多くはないのですけれど、ちょうどふさわしい内親王がいらっしゃらなかったのでしょう。 源氏の君は、年月を経て今も尚なお
朝顔の姫君に御執心でしたのに、こんなふうに神に仕える特別な御身分になられてしまったので、残念にお思いになります。姫君の女房の中将にお手紙をおやりになることも相変らずで、斎院へのお手紙なども絶えないのでしょう。源氏の君は昔に変わる現在の、何かと不如意な御境遇などを、格別にお気にもされないで、このようなとりとめもない恋の遊戯を、お閑にまかせて試みては、あちらこちらと気を揉んでいらっしゃるのでした。 帝は院の御遺言をお守りになり、源氏の君を大切に思っていらっしゃいますけれど、まだお若い上に、御性格がおやさしすぎて、毅然きぜん
としたところがおありにならないのでしょう。母君の大后うあ祖父の右大臣が、あれこれと勝手にお計らいなさることに、反対なさることが出来ず、天下の政治も帝の御自由にはならないようです。 世の中は次第に源氏の君にとって、不愉快なことばかりが多くなってくるのですが、朧月夜の尚侍かん
の君きみ とは、ひそかにお心を通わしていらっしゃるので、無理な首尾をなさりつつも長く、と絶えるようなこともありません。 宮中では厳格な五壇ごだん
の御修法みずほう が始まって、帝もお慎みになられている隙をうかがい、例のように、夢のようにはかない尚侍かん
の君きみ との逢瀬をとげられるのでした。あの昔の思い出の細殿ほそどの
の局つぼね に、女房の中納言の君が、人目をまぎらわして源氏の君をお入れいたしました。御修法のため、人々の出入がはげしく、人目も多い頃なので、密会の場所がいつもより端近はしぢか
なところなのが、そら恐ろしく感じられます。 朝夕に源氏の君を拝見している人でさえ、見飽きぬほどのお美しさなのですから、ましてごく稀まれ
にしか叶かな えられないはかない逢瀬は、どうして並々のことに思えましょうか。女君の御様子もまことにすばらしく今が盛りのお美しさでおらっしゃいます。重々しさという点では何とも言えませんが、とにかく美しく艶つや
やかで若々しい感じでいらしゃるのが、男心にはいつまでも見飽きることのないお姿と映ります。 間もなく夜も明けてゆきそうな頃、ほんのすぐ間近で、近衛このえ
の警護の声が、 「宿直申とのいもう
しの者でございます」 と、作り声で言います。 「自分の他にも、この近くに女と忍び逢っている近衛司このえづかさ
の者がいるのだろう。それを意地の悪い同僚が教えて、わざと嫌がらせに寄越したのだな」 と、源氏の君はお聞きになります。おかしいけれど、困った気もなさいます。その宿直の者はあちらこちらと上司をさがし廻って、 「只今、四時です」 と言っているのが聞こえます。女君が、
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心から かたがた袖を
濡らすかな あくと教ふる 声につけても (我から求めた恋ゆえに 涙で袖が濡れてくる 夜が明けたと知らす声 聞いても君に飽かれるかと
不安におののくわが心) |
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と、おっしゃる様子はいかにも心細そうで、とても可憐に見えます。 |
嘆きつつ
わが世はかくて 過ぐせとや 胸のあくべき 時ぞともなく (嘆きながら わが生涯はこうして 過ごせというのだろうか この明け方の胸の苦しさの
消える時もなく) |
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と、お答えになって、あわただしいお気持で源氏の君はお出ましになりました。 まだ夜深い暁月夜あかつきづくよの、言いようもなく美しく霧がたちこめていますのに、わざとひどく身なりを窶やつ
されてお忍びらしく振舞われるのが、かえって比べるものもないすばらしい御様子です。承香殿しょうきょうでんの女御の御兄君の、藤とう
の少将しょうしょう が藤壺から出てきて、月が少し影をつくっている立蔀たてじとみ
の下に立っていたのに、源氏の君は気づかずに、その前をお通り過ぎになったのは、お気の毒なことでした。やがてきっとこのことから、源氏の君の誹謗ひぼう
を申し上げるようなことになるでしょう。 |