〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/01/29 (金) 

賢 木 (七)

四十九日しじゅうくにちまでは、故院の女御や御息所たちは、みな院の御所に集まっていらっしゃいましたが、その日も過ぎると、皆ちりぢりに退出されます。それは十二月の二十日のことで、世の中の様子もみな、年の瀬の暮れてゆく、物淋しい空のように陰気でした。
まして晴れる間もなく悲しいのは、藤壺の中宮のお心のうちなのでした。藤壺の中宮は弘徽殿の大后の御気性もお分かりのなっていらっしゃいますので、これからは大后の思うようになさるだろう世の中に、立つ瀬もなくさぞ住み難くなるだろうとお思いになります。それにつけても長い歳月、馴れ睦んでこられた故院の御様子が、絶え間なく思い出されます。

いつまでも院に御所においでになることも出来ず、皆、それぞれほかへ退出いたしますので、悲しさ名限りありません。
藤壺の中宮は、三条の里宮にお帰りになります。御迎えに兄宮の兵部卿ひょうぶきょうみや がいらっしゃいました。その日は雪が降りしきり、風も激しく吹き、院の御所は次第に人影も少なくなり、しんみりしていました。源氏の君も中宮のお部屋に参上なさって、故院の御在世の頃の思い出話をなさいます。
お庭の五葉ごよう の松が雪にしおれて、下葉が枯れたのを御覧になられて、兵部卿の宮がお詠みになりました。
蔭広み 頼みし松や 枯れにけむ 下葉散りゆく 年の暮かな
(のびた枝の水蔭の広さを 頼りにして寄っていた 大きな松は枯れたのか 下葉も散ってゆく 淋しい年の暮よ)
それほどのお歌でもありませんのに、折にふさわしくて、しみじみと心にしみ、源氏の君のお袖が涙でたいそう濡れました。池の水が一面に凍っているのを源氏の君が御覧になって、
冴えわたる 池の鏡の さやけきに 見なれしかげを 見ぬぞかなしき
(氷の張りつめた池は 鏡のように冴えわたっているのに 長年お見慣れした 院の面影を拝せない たまらない悲しさよ)
と、お心をそのままにお詠みになられたのは、あまりにも素直すぎる詠みぶりでございます。王命婦おうみょうぶ が、

年暮れて 岩井いはゐ の水も こほりとぢ 見し人影の あせもゆくかな
(年も暮れて 岩井の水も凍りつき 見馴れていた人影も 日と共に少なくなってゆき 何と淋しいことよ)

と詠みました。そのほかにもこの時、いろいろ歌が詠まれましたけれど、ここに書きつらねるほどのものではありません。
藤壺の中宮が三条の里宮にお移りになる儀式は、これまでと変わらないのですけれど、思いなしかもの淋しくて、ふる い三条の宮邸はお里なのに、かえって旅住まいのようなお気持がなさるのでした。
院のお側になかりおいでになって、お里住みが長く絶えていた歳月のことなど、中宮は今更のように思いめぐらされることでしょう。

年も改まりましたが、諒闇りょうあん 中なので、世間では華やかなこともなくて、いたって静かでした。源氏の君はましてお心がふさいで、二条の院に引き籠っていらしゃいます。地方任官命の除目じもく の頃などは、故院の御在位中はいうまでもなく、御退位の後も、源氏の君の御威勢の変わることはなくて、それにすがろうと、毎年いつも、お邸の御門の前に隙間もなく群がり立ち並んでいた馬や車が、今年はまばらになっています。詰め所に寝具の袋を運びこむ宿直とのい の者の姿も、ほとんど見えません。
親しい家司けいし たちだけが、ひま そうにぶらぶらしているのを御覧になるにつけても、これからは万事、こんなふうになっていくのだろうと自然に思いやられて、味気なくもの淋しいお気持になられるのでした。

源氏物語 (巻二) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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