賢
木 (六) | 桐壺院の御病気が、十月に入ってからたいそう重くなられました。世をあげてすべての人々が御心痛申し上げております。帝もご心配のあまりお見舞いに行幸遊ばされました。院は御衰弱の中からも、東宮の御ことをくれぐれも帝にお頼み遊ばして、次には源氏の君の御ことを、 「わたしの在世の時と変わらず、大小にかかわらず隠し隔てをせず、何につけても源氏の大将を御後見とお思いになって下さい。年齢のわりには、政治を執らせても、まず間違いは全くあるまいと思います。必ず世の中を治めてゆける相
のある者です。そういう点からさし障りが多いので、わたしはわざと親王みこ
にもせず、臣下にして、朝廷の補佐役をさせようと考えたのです。そういうわたしの意向をたがえないで下さい」 と、そいみじみと心を打つ御遺言が多かったのですけれど、政治のことなど女が男の口真似をすることはございませんので、こうしたほんの片端だけでもお話しすることも気がひけます。 帝はたいそう悲しく思し召されて、決してお言葉には背そむ
かない由を、繰り返しお誓いになります。 帝は御容貌もたいそうお美しく、年ごとに御立派におなり遊ばすのを、院も嬉しく頼もしく御覧遊ばされます。帝の行幸には定まった時間の規則がありますので、急いで還御かんぎょ
遊ばすにつけても、なまじお会いしたばかりに、かえってお心残りのことも多いのでした。
東宮も御一緒にと思し召されましたれど、あまりに大仰な騒ぎになりますので、東宮は日をかえて行啓ぎょうけい
なさいました。お年のわりには大人びて愛らしい御様子で、常々桐壺院を恋しがるお気持がつもりつもっていらっしゃいますたので、ただもうお逢い出来たのが無心にお嬉しくて、院のお顔を拝見していらっしゃる御様子は、ほんとうにいじらしくお見受けされます。 院は藤壺ふじつぼ
の中宮ちゅうぐう が涙にかきくれていらっしゃるのを御覧になるにつけても、千々にお心がお乱れになるのでした。東宮に、いろいろのことをお教えなさいますけれど、東宮はまだ何もお分かりにならない頑是がんぜ
なさでいらっしゃいますので、院は先々のことが気遣わしくて、切なく思いでいらっしゃいます。 源氏の君にも、朝廷にお仕えするについての心構えや、この東宮の御後見を必ずなさるようにとかえすかえすおっしゃいます。 東宮は夜が更けてからお帰りになりました。 殿上人どもが残らずお供申し上げての賑やかな御様子は、帝の行幸にも劣るところはありません。 まだまだお別れしたくないほんの短い御会見で、東宮がお帰りになりましたのを、院は非常に名残惜しく悲しくお思いになります。
弘徽殿こきでん
の大后おおきさき も、お見舞いに上ろうとお思いになりながら、藤壺の中宮がこのようにお付き添いになっていらっしゃるのにこだわられて、ためらっておいでのうちに、院はそれほどひどくお苦しみになることもなくて、おかくれ遊ばされました。 足も地につかぬほど右往左往して、あわて惑う人々がたくさんいます。院は御譲位遊ばしたというだけのことで、引きつづき天下の政治をお執りになっていらっしゃったことは、御在位中と変わりませんでした。ところが今の帝はまだ非常にお若くていらっしゃいますし、御後見の外祖父君、右大臣は、やいそう短気で性格も感心しないお方なので、その思い通りに世の中がなってしまったら、一体どうなるだろうかと、上達部や殿上人はみな心配して嘆いております。 藤壺の中宮や源氏の君などは、ましてお嘆きが格別で、ものの分別もお付になりません。追善の御法事などを御子としてお勤めになる御様子も、他の多くの親王みこ
たちの中で、際立って殊勝でいらっしゃいますのを、当然のこととは言え、おいたわしい限りだと、世間の人々も御同情するのでした。 藤衣ふじごろも
の喪服を召されてわびしくお姿をやつしていらっしゃる源氏の君のお姿も、この上なくお美しく痛々しそうに見えます。去年今年と続いて、こういう不幸にお遭いになりますと、源氏の君は世の中がつくづく空しく味気なくお感じになります。こういう機会にこそ、まず出家をしたいと思い立たれもなさるのですが、また一方では、それをさまたげられる様々な現世の絆ほだし
が少なくはないのでした。 |
|
|