〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/01/28 (木) 

賢 木 (四)

源氏の君からのその朝のお手紙は、いつもよりこまやかにしみじみとじょう がこもっていますので、御息所の御決心も崩れてしまいそうでしたけれど、今更思い惑われて御決心をひるがえされるようなことは出来ないし、もはやどうしようもありません。
源氏の君はさほど深く思っていらっしゃらないことでも、恋のためには、相手の気持をとらえるお上手を、いくらかでもお口にされるお方なのに、まして御息所は、並々の恋人とは同列に思っていらっしゃらない間柄でしたから、こんなふうに御息所kら別れて行こうとなさるのを、残念だとも、おいたわしいとも、思い悩んでいらっしゃるのでしょう。
御息所の旅の御装束はもとより、女房たちの衣裳から、その上に何やかやの道中の御調度品まで、贅を尽くし、目新しく仕立てって、お餞別せんべつ になさいましたが、御息所は何の感動もなさいません。ただもう軽々しい浮き名ばかりを世に流して、われながら愛想の尽きる情けない身の上になったことを、下向の日が近づくにつれて、今更のように、寝ても覚めても明け暮れに、嘆きつづけていらっしゃいます。

斎宮は無邪気なお心から、これまではっきり決めていらっしゃらなかった御息所の伊勢行きが、こうしていよいよ決定したのを、素直にお喜びになっていらっしゃいます。
世間では、御息所が斎宮に付き添って伊勢へ下向なさるのは、前例のないことだと非難したり、御同情したり、さまざまなお噂をしているようです。何事にせよ、世間からとやかく批判されたりすることのない身分の低い者は気楽なことです。かえって世に抜きん出た御身分の方々の御身辺には、とかくこうした御窮屈なことが多いようです。

十六日に桂川かつらがわ で斎宮はおはら いをなさいました。常の儀式よりも御立派で、長奉送使ちょうぶそうしなどや、その他上達部かんだちめ なども、身分の高い、声望のある人々を、みかど はお選びになります。
それには桐壺院の御配慮もあられたからのことでしょう。
斎宮が野の宮を御出発なさるところへ、源氏の君より例のように、尽きせぬ思いのたけを、こまごまとお書きになったお手紙が届きました。
「申すもおそ れ多い御前に」
と、木綿ゆう に結びつけて、
鳴神なるかみ でさえも思いあう仲は割かないと申しますのに」
八洲やしま もる 国つ御神みかみ も 心あらば 飽かぬわかれの 仲をことわれ
(大八洲をお守りの国つ神も 思いやりがおありなら 飽かぬ別れをせねばならぬ このふたりの仲を 御判断下さい)
「どう考えてみましても、あきらめきれない思いがいたします」
とあります。斎宮のところでは、ほんとうにごった返している最中でしたが、お返事をなさいます。斎宮のお歌は、女別当にょべっとう にお書かせになりました。
国つ神 そらにことわる 仲ならば なほざりごとを まづやたださむ
(国つ神が大空で もしおふたりの仲を さかれるならば あなたの実意のなさを まずお裁きになるはず)

源氏の君は、斎宮御出発の儀式を御覧になりたくいて、宮中へ参上したいとお思いになるのでしたが、御息所に捨てられた立場でお見送りするのも、外聞の悪い感じがなさいますので、思いとどまって所在なく物思いに沈み込んでいらっしゃいました。
斎宮の御返歌の大人びていらっしゃるのを、ほほ笑みながら御覧になります。お年のほどよりは風情を解していらっしゃるのではないかと、お心が動くのでした。こんなふうに普通とは違った面倒な事情のあ恋に、かならず惹かれるお心の癖がおありで、
「いくらでも拝見出来たはずの、斎宮の幼い頃のお姿を見ないでしまったのは残念なことだった。しかし世の中は不定だから、またいつかお目にかかることもあるだろう」
などと、お考えになります。

源氏物語 (巻二) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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