斎宮
の伊勢へお下くだ りになる日が近づくにつれ、六条ろくじょう
の御息所みやすどころ は日と共に心細くなられるのでした。 御身分の高い正妻として、けむたく思っていられた左大臣の葵あおい
の上うえ もお亡くなりになってのちは、今度こそは六条の御息所がその後に正妻になられるだろうと、世間では噂をしていました。御息所のお邸でも、人々が少なからず期待に胸をときめかせていたのでした。 ところがそれからのちはかえって、ふっつりと源氏の君のお通いは、よ絶えていまったのです。あまりにも情つれ
ないお扱いをなさるのは、よくよく源氏の君が心底から厭いと
わしくお思いになることがおありだったのだろうと、御息所はお心のうちにうなずかれましたので、今は一切の未練を断ち切って、ひたすら伊勢へ御出発しようと御決心なさいます。 斎宮に親がついてお下りになる例は、これといってなかったのですけれど、斎宮がまだお若くて、お一人で御出発させるには、とてもしのび難い御様子なのにかこつけて、辛い憂き世から逃れ離れようと御息所はお思いになるのでした。 源氏の君は、さすがに御息所が今を限りと、遠くへ離れ去っておしまいになるのも名残惜しくて、お手紙だけは、情を込めたものをたびたびお届けになります。直接お逢いすることは、今更思いもよらないことだと、御息所もあきらめていらっしゃいます。 「あちらはわたしのことで、すっかり愛想をつかしていらっしゃるらしい。それでもお目にかかれればわたくしの方はいっそう未練がつのって苦しくなるのに決まっているのだから、今更お逢いしたところで何になろう」 と、気強くお考えになるのでしょう。御息所は野の宮から六条のお邸にほんのたまさかお帰るになることもおありですけれど、ごく内密にしていらっしゃるので、源氏の君はそれを御存知ありません。 野の宮は斎宮の潔斎所けっさいじょ
という場所柄そう易々やすやす
とお心にまかせて、お訪ねするようなところでもありませんので、心にはかけながら月日が過ぎて行くばかりでした。 そうこうするうち、桐壺院きりつぼいん
が御大病というほどではありませんけれど、お加減のすぐれないことが多く、時々御病状がお悪くなられますので、源氏の君はいっそうお心の休まる暇もないのでした。それでも御息所が、自分を薄情者だと思いきめておしまいになるのもおいたわしいし、世間の人の耳にも、いかにも自分が薄情者だと伝わるだろうことも、心外だとお思いになって、野の宮へお出かけになりました。 その日は九月の七日頃でしたので、源氏の君は伊勢下向の日ももうすでに今日明日に迫っていると思われ、おあせりになります。御息所の方でも何かとお気持があわただしい折でした。源氏の君からは、
「ほんの少しでも、お目にかかりたい」 と、たびたびお手紙がありましたので、御息所はどうしたものかとお迷いになります。あまり引っ込み思案がすぎても風情がなさすぎると思われ、物越しの御対面だけならと、人知れずお待ち申し上げていたのでした。 |