葵
(二十六) | こうしたことのあった後は、源氏の君は宮中にも院にも、ほんのしばらく参上なさっている間でさえも、そわそわと落ち着かず、姫君の面影が恋しくてなりませんので、わらながら不思議なことだとお思いになるのでした。 それまでお通いになっていらっしゃった女君たちからは、恨みがましいお便りを届けられたりなさるので、中には、お気の毒だとお思いになるお方もありますけれど、新手枕
の姫君のことばかりがお心にかかって、一夜でも逢わずにいられないと、思い煩われるので、つい外出も気がすすまず、もっぱら外に向かっては、御気分がすぐれないふりばかりなさっていらっしゃいます。 「喪中で世の中がひどく厭わしくなっています。この時期をやり過ごしてから、どなたにもお目にかかりましょう」 とだけお返事して、日をお過ごしになっていらっしゃいました。
今は宮中で御匣殿みくしげどの
と呼ばれていらっしゃるあの朧月夜おぼろづきよの六の君が、今もやはり源氏の君にばかりお心を寄せていらっしゃるのを、 「なるほど、あんなに大切にしていらっしゃった北の方がお亡くなりになられたようだから、六の君をもし源氏の君の正妻にして下さるなら、それもまんざら悪い話ではないだりう」 などと、父右大臣が仰せになりますので、弘徽殿の大后は、ますます源氏の君をお憎みになっていらっしゃいます。 「宮仕えをしても、立派にお勤めなさるなら、何の不体裁なことがありましょう」 と、入内じゅだい
なさることを、熱心に画策していらっしゃるのでした。 源氏の君も朧月夜の君には、並々の御愛情ではなかったので、入内なさってしまわれたら、残念だとはお思いになりますものの、今、さしあたっては、二条の院の姫君以外の、他の女君にお心を分ける気もなさらず、 「どうせ短い浮き世なのだから、もうこれからは、この姫君を妻と決め一人を守っていこう。女の怨みを負うのは恐ろしい」 と、よほど六条の御息所の件でお懲りになった御様子です。 「あの六条の御息所はたいそうおいたわしいとは思うけれど、真に頼りにする正妻なら、きっとさぞ気の置けることだろう。今までのような間柄で我慢して下さるなら、何かの折にお話し相手となっていただくには、この上なく恰好のお方なのだけれど」 など、さすがに御息所とは、きれいさっぱりとは切れておしまいになれないようです。 二条の院の姫君を、いままで世間の人々もどういう素性のお方とも存じあげないできたのでしたが、そのままではいかにも軽く見られているようなので、源氏の君は今の状態を父宮にもお知らせ申し上げようとお考えになられて、御裳着おんもぎ
の儀式のことも、世間に広く公表するというのではないのですが、すべての準備を一通りではなく御立派に御用意なさると、夜にも珍しいほどのお心遣いをなさいます。 ところが、姫君の方は、あれ以来、すっかり源氏の君をお嫌いになられて、長年、何によらず源氏の君ばかりを頼りにして、まつわりきっていたのが、我ながら浅ましく愚かだったと、ただ、ただ、口惜しくて、まともに目もお合わせなさいません。源氏の君が御冗談をおっしゃられても、実に苦しく堪えがたいことのように迷惑がられて、ふさぎ込んでおしまいになります。すっかり前々とは変わってしまわれた姫君の御様子を、源氏の君の方では、おもしろく、いじらしくもお思いになって、 「この年月、あれほど大切に可愛がってきた甲斐もなく、少しも打ち解けていただけないのが、何とも情けなく辛いことです」 と、お怨みになっていらっしゃるうちに、その年も暮れました。
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