〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/01/24 (日) 

葵 (二十四)

源氏の君は御自分のお部屋にお入りになって、中将の君という女房にお足などを揉ませておやす みになりました。
翌朝は、左大臣家の若君のところにお手紙をお届けになります。やがて届いたあわれなお返事を御覧になるにつけても、悲しみは尽きることがないのでした。
源氏の君は所在なくて、物思いにふけりがちでいらっしゃいます。ちょっとしたお忍び歩きも億劫にお感じになられて、一向に思い立たれなくなりました。
姫君が、何から何まで理想的にすっかり成長なさって、たいそう好もしくすばらしくおなりになられたので、夫婦になっても、もう不似合いでもなくなったと見て取られましたから、それとなく結婚を匂わすようなことを、時々言葉に出して試してごらんになるのですけれど、姫君の方は、まるでお気づきにならないふうなのでした。
所在ないままに、源氏の君はただ西の対で、姫君と碁を打ったり、へん つき遊びなどをなさって、日を暮していらっしゃいます。姫君の御気性がとても利発で愛嬌があり、たわいない遊戯をしていても、すぐれた才能をおのぞかせになるのです。まだ子供だと思って放任しておかれたこれまでの歳月にこそ、そういう少女らしい可愛さばかりを感じていましたが、もう今はこらえにくくなられて、まだ無邪気で可哀そうだと心苦しくはお思いになりながらも、さて、おふたりの間にどのようなことがありましたにやら。

もともと幼い時から、いつも御一緒に寝まれていて、まわりの者の目にも、いつからそうなったとも、hっきりお見分け出来るようなお仲でもありませんでしたが、男君が早くお起きになりまして、女君が一向にお起きにならない朝がありました。女房たちが、
「いったい、どうなすったことかしら、姫君は御気分でもお悪いのでしょうか」
と、そんな御様子に心配していました。源氏の君は、東の対の御自分のお部屋にお帰りになる時、御硯みすずり の箱を御帳台の内にさし入れて行っておしまいになろました。人の居ない間に、姫君はようやく頭をもたげて御覧になりますと、引き結んだお手紙が枕もとに置いてあります。何気なく取り上げて御覧になると、

あやもなく 隔てけるかな 夜をかさね さすがに馴れし 夜の衣を
(どうしてあなたと これまでも契りもせず 他人のまますごせたのやら 幾夜となく二人で 共寝に馴れてきたのに)
と、さりげなく書き流されたようでした。
源氏の君に、こんなことをなさるお心がおありになるとは、姫君は夢にも思っていらっしゃらなかったので、どうしてこんないやらしいお心の方をこれまで疑いもせず、心底から頼もしいお方と思い込んでいたのだろうと、とても情けなく、口惜しくてなりません。
昼ごろ、源氏の君は西に対にいらっしゃって、
「御気分が悪いそうだけれど、どうなさったの、今日は碁も打たないでつまらないね」
と、おっしゃりながら御帳台の内を覗き込まれますので、姫君はますますお召物をひき被って、寝ていらっしゃいます。
女房たちはひき下がってひかえていましたので、源氏の君は姫君の側にお寄りになって、
「どうしてこんなふうに、ひどい仕打ちをなさるの。思いの外に冷たい方だったのですね。そんなふうだと、女房たちも、どんなに変に思うでしょう」
と、おっしゃって、お夜具を引きのけられると、姫君は汗びっしょりになって、額髪ひたいがみ もひどく濡れていらっしゃいます。
「おお、いけない、これはほんとに大変なことですよ」
と、おっしゃては、何やかやと色々御機嫌をおとりになりますけれど、姫君は心から、ほんとうにひどい方と思っていらっしゃるので、一言もお返事をなさいません。
「いいよ、いいよ、もう決してお目にかかりませんから。とんだ恥をかいたものだ」
など、お恨みになって、硯箱を開けてごらんになりましたが、お返事もありません。何と子供っぽい御態度だろうと、いっそう可愛らしくお感じになります。
源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
Next