〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/01/24 (日) 

葵 (二十三)

源氏の君が院へ参上いたしますと、
「たいそうひどく面やつれしたではないか。精進しょうじん で何日も過したせいだろうか」
と、桐壺院は御心痛遊ばされて、御前で食事などをおとらせになり、あれやこれやとお心遣いあそばされる御様子は、身にしみてもったいないことでした。
藤壺の中宮のもとにお伺いいたしますと、女房たちが久しぶりなので珍しがって、お迎え申し上げます。中宮は王命婦おうのみょうぶ の君を通して、
「何かとお悲しみの尽きぬこととお察しいたしますが、日が経つにつけましても、さぞかし」
と、お言葉を賜わりました。源氏の君は、
「この世の無常は、一通り分かっているつもりでおりましたが、直接、この目で身近に不幸を見ますと、つくづくこの世が厭わしくなるようなことが多く、思い乱れることもございましたが、中宮さまからの度々の御見舞いのお便りを頂戴いたしまして、どれほど慰められたかわかりません。お蔭で今日までも永らえてまいりました」
と、おっしゃいます。こうした時でなくても、中宮の御前では、いつも物思わしげにしていらっしゃるのに、この度は御不幸の愁いさえ取り添えて、源氏の君はいっそう切なさそうな御様子です。
無紋のほう に、鈍色の下襲したがせね をお召しになり、冠のえい を巻き上げられた喪中のお姿は、はなやかな御装いの時よりも、いっそうなまめかしさが勝って見えます。
東宮にも長らく伺候しこう を怠っていらっしゃるお心がかりなどを、お話し申し上げて、夜が更けてから御退出になりました。

二条の院では、邸中のお部屋を磨き清めて、男も女もうち揃ってお待ち申し上げておりました。主だった女房たちは、みな里から参上して、われもわれもと衣裳を着飾り、化粧をこらしているのを御覧になるにつけても、あの左大臣家で、女房たちがみな悲しみに沈みきって暗い表情で居並んでいた光景を、源氏の君はあわれに思い出されるのでした。
お召し物を着替えになられて、西のたい へいらっしゃいました。冬への衣更えをした部屋の調度や飾りつけが、すっきりと明るく出来ていて、美しい若女房や女童たちのみなりも綺麗に整えております。少納言の乳母の采配ぶりは、すべてに行き届いていて奥ゆかしいと、源氏の君はお認めになるのでした。
若紫の姫君は、たいそう可愛らしくきれいに着飾っていらっしゃいます。
「長いことお逢いしない間に、すっかり大人らしくなえあれましたね」
と、小さな几帳の帷子かたびら をひき上げて御覧になりますと、姫君は横を向いて恥ずかしそうにまさるお姿は、非のうちどころもありません。燈火に照らし出された横顔や、頭つきなど、何と、あの心の限りを尽くしてお慕い申し上げているお方に、そっくりになってゆかれることでしょう。それを御覧になるにつけても、この上なく嬉しくお思いになるのでした。
近くに寄り添われて、逢えなくて気がかりだった間のことなど、少しお話になって、
「この間中からのお話をゆっくるしてさしあげたいのだけれど、あんまり縁起がよくないので、しばらく余所よそ で休息してからこちらへ参りましょう。これからは、もうずっといつでもご一緒にいますから、今にうるさいとお思いになるかもしれませんね」
などとお話ししていらっしゃるのを、少納言は嬉しく聞いてはいますものの、やはり一抹の不安を拭い去ることが出来ません。
源氏の君の内緒のお通い所には、ご身分の高い女君たちが多勢いらっしゃるので、いつまた面倒なお方が葵の上に入れ替わって御正妻として出ていらっしゃらないとも限らないなど、気がもめますのも、憎らしい女心の気の廻しかたです。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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