〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/01/21 (木) 

葵 (二十)

日がすっかり暮れてしまいましたので源氏の君は燈火ともしび をお側近くとも されて、こういう夜にふさわしい気心の知れた女房だけをお召しになり、御前で話などおさせになります。
中納言の君という女房は、源氏の君が長い年月秘かにお情けをかけてこられました。この喪中の間は、葵の上への気がねもないのに、かえってそういう色めいたお相手をさせようとはなさいません。
中納言の君は、それを亡き方へのおやさしいお心遣いだと拝察しているのでした。色恋の対象ではないただのお話し相手の女房には、やさしいお言葉をかけられて、
「こうして幾日もの間、葵の上の御生前のころにもまして、みんなと一緒にほかに気を散らすこともなくて、親しく暮して来たのに、これから先、いつまでもこうしていられなくなったら、さぞ恋しいことだろうね。亡くなった人のことは仕方がないとして、ただ人の世の愛別離苦あいべつりくなど、あれこれ考えてみると、たまらない気がすることがたくさんありそうだ」
とおっしゃいますので、女房たちはみな、いっそう泣いて、
「今更言っても仕方のない御不幸については、ただもう、目の前が真っ暗になったような気持がします。それは仕方のないことですけれど、この先ふっつりとわたしどもをお見限りなさって、どこかへ行っておしまいになるのかと思いますと」
と、言いも終らず、むせびあげてしまいます。
源氏の君は可哀そうにと、女房たちを見渡されて、
「どうして見限ったりするものか。よほどわたしを薄情な人間だと思っているのだね。気長に見とどけようという人さえいるなら、いつかわたしの誠意をわかってもらえるのだが。ただ、人の命ははかないものだからね」
とおっしゃって、じっと燈火を見つめておいでの眼もとが、涙に濡れていらっしゃるのが、まことにお美しいのです。
亡きお方がとりわけ可愛がっていられた幼い女童めのわらわ が、両親も居なくてひどく心細そうにいていますのを、無理もないことと御覧になって、
「あてきはこれからは、わたしを頼りにするのだよ」
とおっしゃいますと、あてきはひどく泣きだしました。小さなあこめ を、ほかの人よりは濃く染めて、黒い汗衫かざみ萱草かんぞう色の袴などをつけているのも、可愛らしい姿でした。
「御在世の昔を忘れない人は、淋しさを我慢してでも、幼い若君を見捨てず仕えておくれ。あの方の生きていらっしゃった頃の名残もなくなり、そなたたちまで去っていったら、いよいよわたしがここへ来るよすがもなくなってしまyから」
などと、みんながいつまでもお仕えするようにと仰せになりますけれど、さて、どういうものでしょうか、どうせ、この先は、もっともっと待ち遠しいまれな御来訪になられるにちがいないと思いますと、女房たちは、そぞろに心細い限りなのでした。
左大臣は女房たちに、それぞれの身分に応じた、ちょっとした趣味的な道具や、また、いかにのお形見にふさわしい品物など、表立たないように心遣いして、洩れなくお配らせになりました。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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