葵
(十五) | この日は、秋の司召
しが行われるので、左大臣も参加なさいました。御子息たちもそれぞれ昇進を望んでいらっしゃいますから、父大臣のお側を離れず、どなたも皆、引きつづいて参内なさいました。 こうしてお邸の中が人少なになりひっそりとなった頃、葵の上が突然、いつものようにお胸をせき上げて、たいそうお苦しみになろました。宮中にもお知らせ申し上げる閑もなく、そのまま絶命しておしまいになられたのでした。 報しら
せを聞いて、どなたも、どなたも、足を空に、宮中より退出いていらっしゃいました。任官の行われる夜でしたけれど、このようなどうしようもない御支障が出来ましたので、すべては御破算になってしまったようでした。 ただもう、皆々、大声で騒ぐのですが、あいにく夜中のことなので、比叡山のお座主ざす
やあれこれの僧都そうず たちも、お招きすることも出来ません。今はもう大丈夫と油断していました時に、あまり思いがけないことになり情けないので、お邸の人々は狼狽あわて
ふためき、物にぶつかったりします。 方々からのご弔問のお使いなどが、立て込みましたが、とてもお取次ぎ出来るどころではなく、邸中が上を下への大騒ぎで、お身内の方々の悲痛なお嘆きは、それはもう空恐ろしいほどでした。 これまでにも、物の怪に葵の上が度々失神されたからとお思いになって、お枕の位置などもそのままにして、二日三日、様子を御覧になりましたが、次第にお顔に死相がありありとあらわれてこられたので、もうこれまでとお諦めになる時は、誰よりもたまらなくお嘆きになるのでした。 源氏の君はお悲しみの上に、六条の御息所の生霊ということを思い合わせられますので、いっそうお嘆きが重なって、男女の仲をつくづく厭わしいものと、身にしみてお感じになりました。そのためか、特別の深い御関係の女君たちからのお悔やみまでも、すべて不快にしかお感じになれないのでした。 桐壺院も、お嘆き遊ばして御弔問のお使者をおつかわしになりましたことに、左大臣はとりわけ面目をほどこされて、こんな不幸中にも嬉しい事も交じって、お涙の乾く閑もありません。 人々のおすすめするままに、大掛かりな蘇生の御祈祷を様々にし尽くして、もはや万一にも生き返りはなさらないかとお試みになります。その一方では、御亡骸おんなきがらがだんだんそこなわれ変っていくのを御覧になりながらも、まだ思い切ることがお出来にならず、悲しみ惑われるのでした。 その甲斐もないまま、日が過ぎて行きますので、今はもうこれまでと、火葬場の鳥辺野とりべの
へ、御遺体をお運びいたしました。その前後にも、堪えられないほど悲しいことが多かったのでした。 あちらこちらからの御葬送の人々や、寺々の念仏僧などで、あれほど広い鳥辺野も立錐の余地もありません。 院は申し上げるまでもなく、中宮、東宮などの御使いつか
いをはじめ、そのほか諸方からのお使いも、引きもきらず入れかわり立ちかわり来て、亡きお方を惜しむ御弔問の言葉を申し上げます。左大臣はお立ちになっている気力もなく、 「こんな老齢の果てに、若い盛りの娘に先立たれてしまって、悲しみのあまり腰も抜け這は
い廻ろうとは」 と、恥じ入ってお泣きになるのを、大勢の会葬者は痛々しく拝見します。 夜通したいそうな騒ぎをした盛大な御葬儀でしたが、まことにはかない御遺骨だけをお残しになり、夜明けのまだ暗いうちに、会葬者はそれぞれ去って行きました。 人の死は、無常の世の当然のことわりですけれど、源氏の君にとっては死別の御経験派は夕顔の君一人くらいで、多くの死を目の当たりには御覧になっていらっしゃらないせいでしょうか、この上もなく、亡き人を恋い焦がれていらっしゃるのでした。 八月二十日あまりの有明の月のころなので、空の風情もあわれ深いのに、左大臣が子ゆえの闇に昏く
れ迷まど っていらっしゃる様子を御覧になるにつけても、源氏の君は無理もないことと思われて、気の毒で、つい空ばかり眺められて、 | 昇りぬる
煙はそれと わかねども なべて雲居の あはれなるかな (空に上る火葬の煙は どの雲になったことやら わからないけれど 雲のかかるすべての空が
しみじみ懐かしまれる) |
| と、お詠みになりました。 |
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