と、おっしゃる声音や御様子は、全く葵の上とは似ても似つかぬ別人でした。これは一体どうしたことかと、源氏の君が不思議に思いながら色々考え、見直されますと、それはまさしく、あの御息所そのままのお姿なのでした。あまりの浅ましさに呆れ果てて、源氏の君はこれまで人がとやかく噂していたのを、つまらぬ者たちの言いたてることで聞くに堪えないと、相手にもせず、そんな噂を否定しつづけていらっしゃったのに、今、目の前にさまざまとそれを御覧になっては、世の中には、ほんとうにこんなこともあるものなのかと、不気味で御息所を疎ましくなられるのでした。つくづく、ああ嫌なことだとお思いになられて、 「そうおっしゃっても、わたしにはどなたかわかりません。はっきりお名乗り下さい」 と、おっしゃいますと、いっそうまぎれもなく御息所そっくりの御様子になりますので、浅ましいどころの話ではありません。女房たちがお側へ近づくのさえ、体裁が悪く恥ずかしくお思いになります。 少し御病人の声が静まったので、いくらか楽になられたのかと、母宮がお薬湯
を持ってお側へよっていらっしゃいました。女房たちが、女君を抱きかかえ起しますと、ほどなくお生まれになりました。どなたも限りなくお喜びになられましたが、憑坐よりまし
に乗り移らせた物の怪どもが、お産を嫉ねた
ましがって罵ののし りわめいている有り様は、ほんとうに騒々しくて、後産あとざん
のことが、またとても心配でなりません。言葉に言い尽くせないほどの願がん
を、たくさん立たせなさったお蔭でしょうか、後産も無事に終りましたので、比叡山の天台座主ざす
をはじめ、名高い高僧たちが、加持の験げん
にさも得意顔で汗をおし拭いながら、急いで退出しなした。 多くの人々が心の限り気を揉んで看病した幾日かの、緊張の名残も少しはとけてほっとしながら、もいこれで大丈夫だろうとお思いになります。御修法みずほう
などは、またまた新しく加えて引きつづき始められましたが、まずさしあたっては、楽しいやら珍しいやらの御子みこ
のお世話で、どなたも皆のどかに心を和めていらっしゃいます。 桐壺院をはじめ、親王みこ
たち、上達部など、一人残らずお贈になられた産養うぶやしな
いのお祝いの品々が、いかにも珍しく立派なのを、祝宴の夜毎に見ては、人々は騒ぎ立てています。しかも男のお子でしたから、産養いの儀式は、いっそう華やかに賑々にぎにぎ
しく、おめでたく行われたのでした。 |