左大臣家では、葵の上が物
の怪け に憑つ
かれたらしく、ひどくお苦しみになられますので、どなたも御心配なさっていらっしゃいます。そんな折なので、源氏の君もお忍び歩きなどはとても無理です。二条の院にさえ時たまにしかお出かけになれません。何と言っても、正式の北の方ろいう御身分上、どなたよりも大切に思っていらっしゃる葵の上の、懐妊ということに加えてのご病気ですから、源氏の君も一方ならず御心配になって、ご自分の部屋でも御修法みずほう
や何やかやと、加持かじ 祈祷きとう
をたくさんおさせになるのでした。 祈祷されて物の怪や生霊いきりょう
などがたくさん現れてきて、さまざまに名乗りを上げます。その中に、憑坐よりまし
にはどうしても乗り移らず、ただ葵の上のお体にぴたりととり憑いて、特にひどくお苦しめするのでもないのですが、やはり片時もお身を離れようとしない、しつこい怨霊おんりょう
が唯一つあります。 すぐれた験者げんじゃ
たちの祈祷にも調伏ちょうぶく
されない執念深い様子から、余程のものと思われます。 源氏の君のお通い所の、ここかしこの女の生霊かと、左大臣家では見当をおつけになりますが、女房たちが、 「六条の御息所や二条の院の女君「などは、源氏の君が並々でなく御寵愛のようですから、こちらの北の方に対する怨み心もさぞ深いことでしょうよ」 と、ひそひそ噂していますので、左大臣家では、あれこれ占わせて御覧になりますけれど、誰の怨霊といってはっきり言い当てることもありません。 物の怪といったところで、特別に深い敵だと名乗り出る者もいないのです。亡くなった乳母めのと
だった者、あるいは葵の上の御先祖に、代々祟たた
りつづけて来た死霊などが、お体の弱り目につけ入って、出て来たものなどなかりです。とりわけ重立った怨霊もなくて、ばらばらと、とりとめもなく現れます。 葵の上は、たださめざめと声をあげてお泣きになるばかりで、時々は、胸をつまらせて、たまらなく苦しそうに悶もだ
えたりなさるので、一体、どうなられることかと、恐ろしくもあれば悲しくもあり、左大臣家ではどなたも皆、狼狽ろうばい
しきっていらっしゃいます。 桐壺院からもしきりにお見舞いがありまして、御祈祷のことまで御心配して下さる御様子が、畏れ多いのにつけましても、いっそう惜しまれる葵の上のお身の上なのでした。 世の中の人々が、こぞって、葵の上のお命を惜しんでいるとの噂をお聞きになるにつけても、六条の御息所はお心おだやかではありません。これまでの長い年月の間は、それほど激しくはなかった競争心なのに、あの日のほんのちょっとしたはずみで起こった車争いのため、御息所のお心に怨念がきざしたのです。それなのに左大臣家ではあの一件を、それほどまでのじゅうだいじとは、思いもよらないのでした。 |