祭の日は、左大臣家では御見物なさいません。あの御車の場所争いの一件を、逐一お耳に入れた者がありましたので、源氏の君は、御息所に対してほんとうにお気の毒で、葵の上には情けないことをしてくれたとお思いになりました。 「葵の上は、重々しく落ち着いているが、惜しいことに、やはり何分にも情
がうすく、そっけないところがおありなので、自分では、それほどひどいことをするつもりもなかったのだろう。大体こういう間柄の女どうしは、お互いにやさしい思いやりを交しあうべきなのに、葵の上はしこまで気がつかない。その気質を見習って、次々と下々の家来までが、不心得にあんな狼藉ろうぜき
を働いてしまったのだろう。六条の御息所はお心づかいが奥ゆかしく、こちらが恥ずかしいほど嗜たしな
み深いお人柄なのに、そんなひどい屈辱を受けられ、どんなにか惨めな情けない思いに沈んでいらっしゃることだろう」 と、お気の毒でたまらず、御息所の邸をお訪ねになりました。 そこにはまだ斎宮がいらっしゃって、邸の四方に木綿ゆう
をつけた榊さかき が立ててありますので、その榊に対しても憚はばか
りがあるというのを口実に、御息所は心安くは逢おうとなさいません。源氏の君は、無理もないこととはお思いになるものの、 「どうして、こうもよそよそしくなさるのだろう。もっとお互いに角立たないようにしてもいいだろうに」 と、つぶやいておしましになるのでした。 その日は二条の院に源氏の君はひとりでお帰りになられ、祭見物にお出かけになります。 西の対たい
にお越しになり、惟光これみつ
に車の用意をお命じになります。若紫の姫君にお仕えしている女童めのわらわ
たちを、わざと大人扱いにして、 「女房たちも出かけますか」 など冗談をおっしゃって、姫君がそれは可愛らしく着飾っておめかししていらっしゃるのを、ほほ笑みながら御覧になるのでした。 「さあ、いらっしゃい。一緒に見物に行きましょうね」 と、姫君のお髪ぐし
がいつもより清らかに見えるのを撫でられて、 「長いことお髪ぐし
をお削そ ぎにならないようですけれど、今日は髪を削いでもいい吉日だったかな」 と、暦こよみ
の博士はかせ をお召しになって、髪を切るのに縁起のいい時刻を、お調べさせになる間に、 「まず女房たちがお出かけなさい」 と、おっしゃって、女童たちが綺麗に着飾っているのを御覧になります。どの子も可愛らしく髪の裾をはなやかに切り揃えて、浮う
き紋もん の表うえ
の袴に、その髪がかかっているのが、くっきりと鮮やかに見えます。 「あなたのお髪ぐし
は、わたしが切り揃えてあげましょう」 と、源氏の君は切りはじめられましたが、 「これは、うっとうしいほど多いお髪だ。今にどれほど長くなることやら」 と、切りあぐねていらっしゃいます。 「どんなに髪の長い人でも、額の生え際の髪は、いくらか短いものなのに、あなたのようにまったく後おく
れ毛げ がないというのも、あまり風情がなさすぎはしないかな」 とおっしゃりながら、それでもすっかり切り揃えられて、
「千尋ちひろ 」 と祝いの言葉をおっしゃるのを、乳母めのと
の少納言しょうなごん は、しみじみ有り難いことだと嬉しく拝見しています。 |
はかりなき
千尋の底の 海松房みるぶさ の おひゆく末すゑ
は 我のみぞ見む (底知れぬ深い千尋の 海底の海松のように 美しく髪が伸びていく あなたの未来は わたしひとりがお世話しましょう) |
|
と、源氏の君が祝いの歌をおっしゃいますと、 |
千尋とも
いかでか知らむ 定めなく 満ち干ひ
る潮しほ の のどけからぬに (愛情は千尋の海のように
深いとおっしゃっても どうしてわかるかしら 満ち干する潮のように 歩き廻っておいでなのに) |
|
と、紙に書き付けていらっしゃry若紫の姫君の御様子は、いかにも歌は才気走って上手そうに見えるものの、御本人はまだ子供らしく可愛らしいノの、源氏の君は末楽しみなことだとお思いになるのでした。
|