〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/01/13 (水) 

葵 (四)

いかにも、例年よりは、それぞれ趣向を凝らした数多くの見物の車に、われもわれもと女房たちが乗り込んで、着物の裾や袖口がはなやかにこぼれている下簾のそこここにも、馬上の源氏の君は、そ知らぬお顔をしていらっしゃいますけれど、時には、にっこりと流し目を送られたりなある車もあるようでございます。
左大臣家のお車は、一目でそれと知られるので、その前は、澄ました表情をつくってお渡りになります。源氏の君のお供の人々もそこではうやうやしく、満面に敬意を表しながら通りますので、御息所はうちひしがれた御自分のみじめさに、いっそう屈辱を感じやりきれなくなるのでした。
影をのみ 御手洗川みたらしがは の つれなきに 身の憂きほどぞ いとど知らるる
(晴姿を見たくて来たのに あなたの影だけを映して 流れ去る御手洗川のように つれないあなたが恨めしく わが身の不幸が身に沁みる)
悲しさに涙がこぼれますのを、お供の女房に見られるのも恥ずかしく、とはいっても、目もまばゆいほどの源氏の君のお姿やお顔が、晴れの場だと、一段と輝き えまさっていらっしゃったのを、ここに来ないでもし見なかったとしたら、やはり、どんなにか残念だっただろうと、お思いになります。
供奉ぐぶ の人々も、身分相応に、装束や姿形を、いかにも豪勢に着飾っていて、中でも上達部は格別水際立っています。けれども、源氏の君お一人の光り輝く美しさには、すべてかき消されてしまったようでした。
近衛このえ の大将の臨時の御随身みずいしん に、六位の蔵人くらうど将監しょうげん を兼ねた者などがお役を務めるのは、特別の行幸などの場合以外普通はないことです。それなのに今日は、蔵人の右近うこん将監ぞう が源氏の大将にお仕えしていました。ほかの御随身たちも、容姿の美しく見なりもきらびやかな者たちを揃えて、世をあげて大切にかしずかれていらっしゃる源氏の君の御様子は、草木もなび かぬものはないまでにお見受けされます。
壺装束つぼしょうぞくという外出姿をした、身分もほどほどの女たちや、世を捨てた尼などでさえも、人波にもまれて、こけつ転びつしながら、見物に出ているのも、いつもなら、
「身の程もわきまえず何と見苦しい。よせばいいのに」
ろ思う筈ですのに、今日は無理もないと思われます。
歯の抜けた口が巾着きんちゃく のようにすぼみ、髪はうちき の中に着こんでいるみっともない老婆たちなどが、掌を合わせて額に当てながら、源氏の君を拝んでいるのも滑稽です。見るからに間の抜けたみっともない下々の男まで、自分の顔が、どんなおかしな顔になっているとも気づかず、源氏の君を拝んで嬉しそうに笑みくずれています。
源氏の君の方では、まったくお目をとめられそうもないつまらぬ受領うずりょう の娘などさえ、精一杯飾り立てためいめいの車に乗り、わざとらしく気取って源氏の君を意識して振る舞っているなど、さまざま面白い見物みもの なのでした。
まして、源氏の君がひそかにお通いになるあちらこちらの女君たちは、こうした源氏の君の人気のすばらしさを のあたりにするにつけ、いよいよ自分などは物の数にも加えられないだろうと、人知れず嘆きの深まる方も多いのでした。
式部卿の宮は、桟敷さじき で御見物になりました。
何とまあ、年と共にまばゆいほどのうつくしさが、いや増していらっしゃる源氏の君の御器量よ。あの美しさは、鬼神などに魅入られるのではないあだろうか」
と、不吉にさえお思いになります。
朝顔の姫君は、長いこの年月、絶えずお便りをお寄こしになりつづける、源氏の君のお心ばえが、世間の男たちとは違っているのを、
「もし相手が、並一通りの者だとしても、これほど熱心に言い寄られると、ふと心の揺れることもあるだろうに、まして源氏の君はどうしてこんなにもお美しいのだろう」
と、さすがにお心が惹かれるのでした。それでも、これ以上親しくうち解けてお逢いしようとまでは、お思いになりません。お付の若い女房たちは、聞き苦しいほど、源氏の君の御器量を めあっているのでした。
源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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