葵
(三) | 左大臣家の葵の上は、日頃からこうした祭見物の御外出などめったになさいません上、今は悪阻で御気分もお悪いことなので、見物のおつもりなどなかったのですが、若い女房たちが、 「どうでしょうね、わたしたちだけがめいめいに、ひっそり見物するのもぱっとしませんわね。何の御縁もない世間の人々でさえ、今日の見物には、何よりも先ず源氏の大将さまをこそ拝もうと思って、みずぼらしい田舎の者まで拝見したがっているそうです。そういう者は、遠い地方から妻子を引き連れて、はるばる都に上って来るといいますのに、源氏の君の北の方さまが御覧にならないなんて、あんまりでございます」 と言いますのを、大宮
もお聞きになられて、 「御気分も少しおさまっているようですし、おつきの女房たちも、見物出来ないのは、つまらなさそうですから」 とすすめられたので、急にお触れを廻されて、御見物なさることになりました。 日が高くなってから、お供廻りもあまり目立たないようにひかえてお出かけになります。見物車が隙間もなくびっしりと一条の大路に立ち並んでおりますので、葵の上の一向は、美々しく何台も車をつらねたまま、車を止める場所がなく立ち往生してしまいました。すでに立派な女房車がたくさん出ていますので、その中で、お供の下人しもびと
たちのいないあたりを見つけて、その辺の車を皆立ち退かせようとしました。少し古びた網代車あじろぐるま
の、下簾すだれ の様子などもいかにも由緒ありげに趣味のいいのが、二輌ありました。中の人は車のずっと奥に身をひそめて、下簾の端からほのかにのぞいている袖口や裳も
の裾、汗衫かざみ などの色合いも上品で清楚で、つとめて人目をさけたお忍びの様子がありありとうかがえます。 その車の従者が、 「これは、決して、そんなふうに押しのけたりしてよいお車ではないぞ」 と、強く言い張って、車に手も触れさせようとはしないのです。どちらの側でも、お供の若者たちが祝い酒に酔いすぎていて、たちまち喧嘩を始めて立ち騒いでいる時には、手がつけられません。年嵩としかさ
の前駆の者たちは、 「そんなことをするな」 など、言ってはいるのですが、とても制止することが出来ません。 このお車こそは、斎宮の御母六条の御息所が、物思いに悩み乱れる日頃のお心の憂さも少しは晴れようかと、お忍びで見物にお出かけになられたものでした。御息所の方はわざとさりげないふうを装って、御身分を気づかれまいとしていらっしゃいますが、自然にわかってしまいました。 「そんな車に、つべこべ言わせるな。源氏の大将の御威光を笠に着ているのだろう」 などと言っている者の中には源氏の君の供人もまじっていましたので、御息所をお気の毒とは思いながらも、仲裁するのも面倒なことになるので、知らぬ顔をつくっています。 とうとう無理に、そこに左大臣家の車を乗り入れてしまったので、御息所の車は、左大臣家のお供の女房車の後ろの隅に押しやられて、御息所には何も見えなくなりました。お胸の内のおさまらない口惜くや
しさはもとより、こうしたお忍びの姿を、自分だと見明かされてしまったのが、何とも恨めしくて、胸が煮えかえるようでした。 車の榻しじ
などもみなへし折られてしまい、轅ながえ
をその辺にあったつまらぬ車の轂こしき
にもたせかけてあるのが、どうしようもなく惨めでみっともないのです。口惜しくてたまらず、いったい、どうして出て来たのだろうと、臍ほぞ
を噛みますが後の祭でした。 御息所はもう見物などしないで帰ろうとなさいますが、車が抜けて通れる隙間もないのでした。 その時、 「それっ、行列だ」 と人々が叫ぶのを聞きますと、さすがに、あの薄情な恨めしいお方のお通りが待たれるのも、なんという悲しい女心の弱さでしょうか。 それでもここは、<笹の隈檜くまひ
の隈川くまがは に駒とめて>
の古歌に詠まれた笹の隅ならぬ車の物蔭の隅ですから、源氏の君は馬の足もゆるめず、こちらには見向きもなさらないで、そ知らぬ顔で行き過ぎておしまいになります。 そんな目にあわれるにつけても、かえって御息所のお胸は、限りない物思いにかき乱されてしまわれるのでした。
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