葵
(二) | その頃、賀茂の斎院
もおやめになられましたので、弘徽殿こきでん
の大后のお生みになった女三おんなさん
の宮みや は、新しい斎院にお立ちになりました。父帝も母后も、とりわけ大切に御寵愛あそばした姫宮なので、神にお仕えする特別の身の上にお変わりになられるのを、まことに辛く思されましたけれど、他に適当な姫宮もいらっしゃらないのでした。 斎院になられる儀式なども、いつもの規定の通りの神事ですけれども、それはもう盛大に催されました。 賀茂の祭の時には、規定の行事の外に、更に付け加えられたことが多く、この上なく立派な見物みもの
になりました。これも新斎院の御人徳によるものと思われました。御禊ごけい
の日には、供奉ぐぶ の上達部かんだちめ
などは、定められた人数でしたが、そのお供たちも声望の高い、容姿の美しい方ばかりを選りすぐり、下襲したがさね
の色から、表うえ の袴はかま
の模様、馬の鞍くら まで、みな見事に調えられました。 特別の勅令で、源氏の大将の君も、御奉仕なさいます。このお通りを見ようと、人々はかねてから見物の車の支度に気を配っているのでした。 一条の大路は立錐りっすい
の余地もなく、怖ろしいほど混雑して賑わっています。道の両側の所々の御桟敷おんさじき
には、それぞれ思い思いの趣向を凝らした飾りつけをして、簾すだれ
からこぼれた女房たちの出し衣の袖口の色合いさえ、すばらしい見物みもの
なのでした。 |
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