〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/01/11 (月) 

花 宴 (四)

源氏の君のお部屋の桐壺では、女房たちが大勢お仕えしていて、もう目を覚ましている者もいます。こうした源氏の君の朝帰りを、
「よくまあ、御熱心なお忍び歩きですこと」
と、突っつき愛ながら、そら寝をしているのでした。
源氏の君はお部屋の入っておやす になりましたけれど、お眠りになれません。
「ほんとに美しい人だったなあ、きっと弘徽殿の女御の妹君のお一人なのなのだろう。まだいかにも情事に初心うぶ なところがおありだったのを見ると、五の君か六の君なのだろう。そちみや の北の方の三の君や、頭の中将が粗末にしている四の君などが、とても美人だと聞いているけれど、もし、あの人がその方々だったら、もっと味わいがあただろうに、六の君は右大臣が東宮にさし上げようとのおつもりらしいけれど、もし、あの人が六の君だったとしたら気の毒なことをしてしまったものだ。色々手をつくして詮索せんさく しようとしても、あの人がどの姫君か、まぎらわしくて見当がつかないだろう。それにしても、あれっきりにしようとは思っていない感じに見えたが、どうして、たよりをする方法も教えずに別れてしまったのだろう」
などと、あれこれ思いめぐらすのも、女によほど、お心が惹かれているからなのでしょう。
こういうことがあるにつけても、
「何よりまず、藤壺のおんあたりの風紀は、この上もなく厳重で、ふかく近づき難かったことよ」
と、世にもたぐ いないおんたしなみのことをの、つい弘徽殿のだらしなさと比較してしまわれるのでした。
その日は大きな宴会の後につづくきまりの小宴会があって、源氏の君はそれにとり紛れてお過ごしになりました。君はそうこと をその小宴でお弾きになったのでした。昨日の宴よりも、今日の宴の方が風流でおもしろ味があります。
藤壺の中宮は、暁に上の御局へお上がりになりました。
源氏の君は、あの有明月ありあけづき の中で逢ったお方が退出されはしないかと、気もそぞろに、万事に抜かりのない良清よしきよ惟光これみつ をつけて、見張をさせておおきになりました。
源氏の君が帝の御前を退さが っていらっしゃいますっと、惟光たちが、
「たったいま、北の門から、今まで物陰にかくしてった車が何台か、退出して行きました。女御様方のお里の方々が見えました中に、四位しい少将しょうしょう右中弁うちゅうべん などが、あわてて出て来て、お見送りしていましたのが、たぶん弘徽殿から御退出のお車だろうとお見受けしました。いかにも御身分の高貴な方々らしい御様子がありありと見え、車は三台ばかりでございました」
と、申し上げるのをお聞きになられても、源氏の君は胸のつぶれるようなお気持になります。
「どういうふうにしたらあの人が、何番目の姫君とたしかめられようか、父の右大臣などが聞きつけて、大げさに婿扱いされたりするのも、どんなものか。まだ相手の姫君の事情もよく見とどけないうちは、それも煩わしいことだろう。かといって、このまま、何も分からないままなのも残念だし、さて、どうしたものか」
と考えあぐねて、つくづくもの思いにふけりながら横になっていらっしゃるのでした。
二条の院の若紫の姫君も、どんなに淋しがっていることか。もう幾日も逢っていないから、さぞふさぎ込んでいることだろうと、いじらしく思いやっていらっしゃいます。
あの時の逢瀬おうせ の証拠の扇は、桜の三重がさねで、色の濃い方に、霞んだ月が描いてあり、それが水に映っている図柄は、よくある平凡なものですけれど、持ち主のたしなみがなつかしくしのばれるほど、使い込んであるのでした。あの姫君が 「草の原をば問はじとや思う¥ふ」 と詠んだ面影ばかりが、しきりにお心にかかりますので、

世に知らぬ ここちこそすれ 有明の 月のゆくへを 空にまがへて
(かつて覚えのないほどの このやるせなさ 有明の月の行方を 中空に見失ったように あの人の行方も知れず)

と扇に書き付けて、傍らにお置きになります。
源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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