〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/01/07 (木) 

紅 葉 賀 (十六)

源氏の君は、頭の中将に見つけられてしまったことを、ひどく口惜くや しく思われながらおやす みになりました。
典侍はすっかり呆れ果てた気がして、あとに落ちていた指貫さしぬき や帯などを、翌朝、源氏の君にお届けしました。
恨みても いふかひぞなき たちかさね 引きてかへりし 波のなごりに
(お二人が次々立ち現れ 波の引くように揃って 帰られた名残惜しさ 恨んでも恨みたりない 甲斐もないとは知りながら)
「涙も れ、涙川の底もあらわになってしまいまして」
とありました。源氏の君は、何という厚かましさよと御覧になり、典侍を小面憎こづらにく く思うのですけれど。昨夜、典侍が途方に暮れていたのもさすがに気の毒なので、
あらだちし 波に心は 騒がねど 寄せけむ磯を いかがうらみぬ
(荒々しく寄せて来た 波のようなあの人の急襲に 心は一向騒がないが 波を寄せつけた磯の あなたを恨むまいことか)
とだけ言っておやりになります。
帯びは頭の中将のものでした。御自分の直衣よりは色が濃いようだとよく御覧になりますと、直衣の端袖はたそで が破れちぎれてありません。
「まったく何と見苦しいことだ。情事にうつつを抜かすものは、なるほどとんだ醜態を演じることも多いだろう」
と、いよいよ自重しなければと。お気持を改められます。
頭の中将は宮中の宿直所とのいどころ から、
「これをまずお縫いつけなさいませ」
と言って、ちぎれた端袖を包みかくして寄こされましたので、どうやって取っていったのだろうと、いまいましくお思いになります。
この頭の中将の帯をこちらに取っていなかったら、さぞ口惜しかっただろうとお思いになって、その帯と同じ縹色はなだいろ の紙に包んで、

仲絶えば かごとや負ふと あやふさに はなだの帯は 取りてだに見ず
(あななたちの仲が もし絶えたなら わたしに帯を取られたせいと 恨まれそうに心配なので はなだの帯には手も触れない)

と言っておやりになりました。折り返して、
君にかく 引き取られぬる 帯なれば かくて絶えぬる なかとっこたむ
(あなたにこうして 引き取られた帯なので わたしたちの仲はこうして 絶えてしまったと お恨みしましょう)

「覚悟なさいませ」
ろいう返歌が来ました。
日が高くなってから、お二人ととも清涼殿せいりょうでん に参上なさいました。源氏の君はすっかり取り澄まして、昨夜のことなど忘れきったふりをしていらっしゃるのが、頭の中将はとてもおかしくてなりません。
それでも頭の中将もその日は公事が多くて、奏上したり宣下せんげ したりする日なので、ひどく威儀を正して、真面目くさっているのです。源氏の君もそれを御覧になってお互いに眼を交しますと、ついにやにやしてしまいます。
人目のない時を見はからって、頭の中将が寄って来て、
「内緒事はお懲りになられたでしょう」
と、横目で憎らしそうに睨みますと、
「いやいや、そんなことはないさ、せっかく忍んで行ったのに、何もせず帰っていったお人こそ、お気の毒様、しかし実際、人の口はうるさいものですよ」
と話し合って、<名取川いさと答へよわが名もらすな> の歌のようにお互い他言無用と口どめしあったことでした

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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