〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/01/05 (火) 

紅 葉 賀 (十一)

そう の琴は、中の細緒の切れ易いのが面倒だから」
と、調子を平調ひょうじょう にお下げになります。
調子を整えるための短い曲だけを御自分でお弾きになって、琴を姫君 の方へ押しやられますと、そうすねてばかりもいられず、たいそう可愛らしくお弾きになります。まだ身丈が小さいので、体ごと腕を伸ばして弦を押えられるお手つきが、ほんとうに可愛らしいので、いっそういとおしくお思いになって、笛を吹き鳴らしながらお教えになります。
姫君はたいへん聡明で、むずかしい調子などをただ一度で覚えてしまわれます。何につけても才気があり魅力のある御性質の姫君 なので、これこそかねての望みの通りの人が得られたとお思いになります。保會呂倶世利ぼそろぐせりという雅楽の曲は、変な名ですけれど、源氏の君がそれを笛で面白く吹きすまされるのに、姫君がお琴で合奏なさいますと、まだ未熟なところがあるものの、拍子は間違わず、上手めいて聞こえるのでした。
灯火あかり をともして、御一緒に絵などを御覧になっていますと、お出かけになるといってありましたので、お供の人々がせき ばらいして、
「雨が降りそうでございます」
と申し上げると、姫君はいつものように心細くなって、しおれていらっしゃいます。
絵も見かけたままにして、うつ伏していらっしゃるのがたいそう可愛くて、おぐし がふさふさと美しく肩のあたりにこぼれかかるのを、源氏の君はかきなでてあげながら、
「わたしがいないと恋しいと思うの」
と仰せになりますと、うなずいていらっしゃいます。
「わたしも一日でもお会いしないととても苦しいのですよ。でもあなたの小さいうちは安心していられるので、まず、ひがみっぽくすねて怨みごとを言うほかの女の人の御機嫌を悪くすると厄介なので、当分はこうして出歩いているのですよ。あなたが大人になってからは、決してよそへ行ったりしませんよ。女の人から怨まれたくないと思うのも、できるだけ長生きして、あなたとふたりで思うさま楽しく暮したいと思うからなのです」
などとこまごまお話になりますと、姫君はさすがに恥ずかしくなって、何ともお答えになりません。そのまま源氏の君のお膝に寄りかかっておやす みになってしまわれたのが、たいそういじらしくて、
「今夜は出かけないことにしましたよ」
と言っておあげになりますと、機嫌を直してお起きになりました。
御一緒にお食事をなさいます。姫君はほんの少しおはし をつけて、
「では、早くやす みましょう」
と、まだ出かけるのではないかと不安そうな御様子なので、こんな可愛い人を見捨てては、たとえ死出の旅路でさえも出かけにくいだろうと、お思いになるのでした。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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