〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/12/31 (木) 

紅 葉 賀 (二)

朱雀院への行幸には、親王みこ たちをはじめ、これという人は一人も残らずお供申し上げました。東宮も御臨席なさいます。
例のように楽人がくにん の乗り込んだ龍頭鷁首りゅうとうげきしゅの船などが池を漕ぎめぐります。唐や高麗こま の舞など数え切れないほど種類多く演じられ、管絃の音や、鼓の音などが、あたりいっぱいに響き渡ります。
あの試楽の夕べの、源氏の君の夕陽に映えたお姿のあまりの美しさに、帝は空恐ろしくさえ思し召されて除災の御祈祷ごきとう御誦経みずきょう などを、あちこちの寺々におさせになりました。それをもれ承った人々もごもっともな御配慮と、御同情申し上げました。ところが弘徽殿の女御だけは、
「あんまり大げさすぎますよ」
と、おっしゃって、お憎みになっていらっしゃいます。
楽人などには、 からも、低い身分の地下じげ からも、殊に名手の評判の高い達人ばかりを選りすぐって、お揃えになりました。宰相さいしょう 二人、左衛門のかみ 、右衛門督が、左右の楽人の指揮をします。人々は、前々から世評に高い舞の師匠を家に迎えて、それぞれ引き籠って稽古に励んでいたのでした。
その日は、木高い紅葉の蔭に、四十人の楽人が、絶妙で仮名でたてる楽の音に、響き合うようにして鳴る松風は、これこそ本物の深山みやま おろしのように吹き乱れていました。色とりどりに舞い散る木の葉の中から、源氏の君の青海波が、きらびやかに舞い出た光景は、何とも恐ろしいほどの美しさなのでした。源氏の君の冠に挿した紅葉の枝が、すっかり散り透いて、お顔の照り映える美しさに気圧けお されたように感じますので、左大将が御まえ の菊を手折たお って、差し替えて上げました。
日が暮れかかる頃、ほんのわずかに時雨しぐ れて、空までが、今日の盛儀に感動しているように思われます。折から源氏の君はそうした美しいお姿で、色変わりした菊の花の言いようもなく美しいのを冠に挿し、今日はまた一段と秘術を尽くした舞をお見せになりました。 最後の入綾いりあや の舞あたりは、そのすばらしさ美しさに、思わず寒気だつほどで、この世のものとも思われません。何の興趣も理解できるはずのない下人げにん どもでも、木の下や岩かげ、築山の木の葉かげに隠れて盗み見ぢている者の中にさえ、少しでも物の情趣のわかる者は、感涙をこぼすのでした。
承香殿しょうきょうでんの女御のお生みになった第四の御子みこ が、まだ童姿わらわすがた秋風楽しゅうじゅうらくをお舞になったのが、これについでの見ものでした。この二つの舞に感動しつくしてしまい、ほかの舞には目も移りません。そのためにかえって興ざめな気味があったかも知れません。
その夜、源氏の君は、正三位におなりでした。頭の中将は正四位下に昇進なさいました。その他の上達部も、皆それぞれ相応の昇進をなさりお喜びになりました。それも源氏の君の栄誉にあやかってのことですから、舞で人々に目を見張らせ、昇進で人々の心までお喜ばせになるとううのは、いったい源氏の君は前世でどのようなコをお積みになられたお方であったのか、人々はその前世を知りたそうに見えます。
源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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