〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/12/29 (火) 

末 摘 花 (二十)

あくる日、命婦が清涼殿せいりょうでんに出仕していますと、源氏の君が女房の集まっている台盤所ばんだいどころをちらとお覗きになって、
「ほら、昨日の返事だよ。どうも妙に気になってならないから」
とお手紙を投げ入れられました。他の女房たちは、何事だろうと見たがっています。源氏の君が、<ただ、梅に花の色のごと 三笠の山の少女おとめ をば捨てて>
と、俗謡を口ずさみながら立ち去っていらっしゃったのを、命婦はたいそうおかしく思います。事情を知らない女房は、
「どうなさったの、ひとり笑いなっかして」
と、口々に詮索します。命婦は、
「いいえ、何でもないのです。この寒い霜の朝に、赤い掻練かいねり のお好きな誰かさんの赤いお鼻の色が、源氏の君に見られたのでしょう。それにしてもさっきの源氏の君の歌のおかしかったこと」
と言いますと、
「まあ、ひどいこじつけをおっしゃるのね。わたしたちのなかには、赤い鼻の人なんかいませんわ。左近さこん命婦みょうぶ や、肥後ひご采女うねめ でも交じっていたらどうか知らないけれど」
などと、わけの分からないまま言い合っています。
命婦が源氏の君のお返事をお届けしましたら、常陸の宮邸では、女房たちが集まって来て、感心しきって拝見しています。

逢はぬ夜を へだつる中の 衣手ころもで に かせねていとど 見もし見よとや
(逢わない夜の多い あなたとわたしなのに 中を隔てる衣を贈って もっと逢わない夜を 重ねよというのか)
白い紙にさりげなくお書きになってあるのが、かえって趣があります。
大晦日おおみそか の夕方ごろ、姫君からお贈りしたあの御衣筥に、源氏の君がお召し下さるようにと他の人が献上した御衣裳の一揃い、葡萄染えびぞめ の織物のうちき や、山吹襲やまぶきがさね やら何やら、色々交じっているものを入れて、命婦が持参して姫君に差し上げました。
この間、姫君から差し上げた御衣裳の色合いをお気に召さなかったのだろうと、思い当たるのですが、老女房は、
「いえ、あれだって紅の色が重々しいものでしたよ。まさか見劣りはいたしますまい」
と、ひとりぎめにしています。
「お歌にしても、こちらからのは、筋が通っていてしっかりしたものでした。あちらさまの御返歌は、ただ面白いというだけのものですよ」
などと口々に言っています。姫君も、あの歌は一方ひとかた ならない御苦心作なので、わざわざ紙に書き留めておかれたものでした。
源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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