〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/12/26 (土) 

末 摘 花 (十三)

常陸の宮の姫君には、せめて手紙だけでもお上げにならなければ可哀そうだとお思いになって、夕方になってから、ようやくお便りなさいました。雨が降りだして、出かけにくくのあるうえに、あそこで雨宿りしようというお気持にもなれなかったのでしょうか。
常陸の宮邸では、後朝きぬぎぬ のお手紙の来る時刻もとうに過ぎてしまったので、命婦も、姫君がとてもお気の毒なことになってしまわれたと、気がもめてたまらないのですた。
姫君御自身はお心のうちに昨夜のことを恥ずかしく思いつづけていらっしゃって、今朝来るはずの後朝の手紙が、日が暮れてからようやく届いたことも、作法に外れているとさえ御存じなく、罪ななさり方ともお分かりにならないのでした。お手紙には、
夕霧の 晴るるけしきも まだ見ぬに いぶせき添ふる 宵の雨かな
(夕霧の晴れるように あなたの心がまだ 解けたとも見えぬゆえ 今宵の雨もなお 憂鬱なことよ)
「雲の晴れ間を待ってお伺いしたいのに、この雨のいつ晴れることやら、じれったいことです」
とありました。源氏の君のお越しになりそうもない文面に、女房たちは胸が痛くなりましたけれど、
「やはりお返事はなさいませ」
と、おすすめします。姫君はただもう心が思い乱れていらっしゃって、通り一遍の型のようなご返歌さえお出来にならないのでした。
「早くなさらないと、夜が更けてしまいます」
といつものように侍従がお教えいたします。
晴れぬ夜の 月待つ里を 思ひやれ 同じ心に ながめせずとも
(晴れやらぬ心で あなたのおいでを待つ わたしのことを 思いやって下さいな 同じお心でなくても)
女房たちに口々に責めたてられて、紫の紙の年数がたって色の せてしまった古めかしいのに、筆跡はさすがに力のこもった中古風の書体で、散らし書きなどはせず、文字の上下をきちんと揃えてお書きになりました。
源氏の君は姫君のそんなお手紙を見る甲斐もないお気持がなさり、そのまま打ち捨てておかれました。姫君は今夜自分が行かないことを一体どう思っていらっしゃるのだろうとお考えになるにつけても、お心は穏やかではありません。
こういうことを口惜しい目にあったというのだろう。そうは言っても、今更仕方がない。あんな女であったにしてもこうなった以上は、最後まで見捨てず気長くお世話をしようと覚悟を決めていらっしゃいます。
源氏の君のそういうお心も知らないで、あちらでは、たいそうお嘆きになっていらっしゃいます。
源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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