〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/12/21 (月) 

末 摘 花 (五)

寝殿の方へ行けば、姫君の気配でもうかが うことが出来ようかと思って、源氏の君はそっと部屋をお出になります。透垣すいがい の崩れたのがわずかに折れて残っている物陰のあたりに、近づいて行かれますと、先にそこに来て、たたず んでいる男がおりました。誰だろう、姫君に思いをかけている好色者すきもの がここにもいたのだなとお思いになり、垣根の蔭に寄り添って窺がっていらっしゃいます。実はその男はとう中将ちゅうじょう なのでした。
今日の夕方、頭の中将と源氏の君は宮中から御一緒に退出なさったのに、源氏の君は真直ぐ、左大臣さだいじん邸にも寄らず、二条にじょういん に帰るでもなく、頭の中将と別れられたのです。どちらへいらっしゃるのだろうと好奇心にかられた頭の中将は、自分も約束していた女の所がありましたのに、源氏の君の後を けて行く先を窺がっていたのでした。貧相な馬に乗って、狩衣かりぎぬ 姿の無造作な身なりにやつして来ましたので、源氏の君もお気づきになれなかったのでした。
頭の中将は、源氏の君が命婦の部屋など、意外な所にお入りになられたので、不審に思っていました。そこへ琴の音が聞こえて来たので、聞き惚れて佇み、源氏の君がお帰りになるため、そろそろ出ていらっしゃるかと、待っていたのでした。
源氏の君はまだその男が誰ともお分かりにならず、御自分も知られたくないので、抜き足さし足で立ち去ろうとなさいます。そこへ頭の中将がつと寄って来て、
「わたしをまいておしまいになった悔しさに、お見送りして参ったのですよ」

もろともに 大内山おおうちやまは 出でつれど  るかた見せぬ 十六夜いざよい の月
(一緒宮中を出たのに 入る姿を見せない 十六夜の月のように 行方を暗ますあなたは ほどいお方だ)
と、嫌味いやみ を言われるのは業腹ごうはら だけれど、やれやれ頭の中将だったのかとお分かりになりますと、少しおかしくもなられるのでした。源氏の君は、
「思いもかけないいたずらをするのですね」
と憎らしがりながら、

里わかぬ 影うぃば見れど ゆく月の いるさの山を 誰かたづぬる
(どこの里にも 分け隔てなく照る月を 人はみな眺めはしても その月の入る山まで 誰がつきとめよう)

とお詠みになります。頭の中将は、
「こんな具合にあなたのあとをつけ回したら、どうなさいますか」
と申し上げます。
「ほんとうのことを言いますと、こんなお忍び歩きは、お供の才覚次第で、首尾よくことが運ぶものなのです。もうこれからは、わたしを捨てて行かれない方がよろしいですよ。身をやつされてのお忍び歩きは、とんでもない間違いが起こりやすいものですから」
と、切り返して、反対に御忠告申し上げるのでした。
源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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