〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/12/20 (日) 

末 摘 花 (二)

左衛門さえもん乳母めのと といって、大弐だいに尼君あまぎみ についで、源氏の君が大切に思っていらっしゃった乳母がいました。その娘が、大輔たいふ命婦みょうぶ といい、宮中に女房としてお仕えしていました。父親は皇族のお血筋の兵部ひょうぶ大輔たいふ でした。
大輔の命婦はたいそう色好みな若女房でしたが、源氏の君も召し使ったりしていらっしゃいました。実母の左衛門乳母は、兵部の大輔と別れ、今は筑前ちくぜんかみ の妻になって夫の任国に下っておりますので、大輔の命婦は、父親の住む常陸ひたち の宮邸を里方にして、宮中へ通っております。
そこにはお亡くなりになられた常陸の宮の晩年に、お生まれになり、宮がとりわけ可愛がられお育てになった姫君がいらっしゃいました。父宮に先立たれ、おひとり残されて心細い御境遇になられたことを、大輔の命婦が何かの話しのついでに源氏の君に申し上げましたら、お気の毒なことだと仰せられてお気にかけられ、それ以来さらに何かと姫君についてお尋ねになります。妙婦は、
「お心ばえや御器量などは、くわしくは存じあげません。お邸の奥深くひっそりとしていらっしゃって、とても人見知りなさり誰ともお会いになりませんので、わたしがお伺いした宵ななどに、几帳きちょう などを隔ててお話しするくらいでございます。きん を何よりのお友達としていらっしゃいます」
と申し上げますと、源氏の君は、
きん と詩と酒は三つの友と、白楽天はくらくてん が言っているが、最後の酒だけは女には不向きだね」
と仰せになり、
「姫君の琴の をぜひ聞かせてほしいね。父宮は、音楽にかけてはたいそうすぐれていらっしゃったから、さぞ姫君も並々のお手並みではないと思うよ」
とおっしゃいます。
「わざわざお聞きになるほどではなさそうでございます」
と言いながらも、源氏の君のお心が惹かれるように、上手じょうず に申し上げますので、
「いやに思わせぶるじゃないか。この頃の朧月夜おぼろづきよにこそり忍んで行こう。その時はそなたも宮中から下がって来るように」
とおっしゃいますので、命婦は面倒なことになったと思いながらも、宮中でも行事が少なくて所在なくのんびりしている春の一日を、見はからって、退出して来ました。
父親の大輔の君は、最近では新しい妻の所に住みついています。この常陸の宮のお邸には、時々通うだけなのでした。命婦は継母の家には住みつけづ、姫君のお邸に親しんで、いつもこちらに寄せていただくのでした。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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