「な
ぞ 越 え ざ ら む ・ ・ ・ ・」 |
「人知れぬ
身はいそげども 年を経て など越えがたき 逢坂の関」 ( 『 後撰集 』 巻十一・恋三・藤原伊尹
) になぞらえた。 |
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< 難波なには
津づ > の歌 |
「難波津に
咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」 (『 古今集 』 仮名序) と 「安積山あさかやま
影さへ見ゆる 山のヰの 浅き心を わが思はなくに」 ( 『 万葉集 』 巻十六) は、当時幼児の習字の手本として用いられた。 |
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七
日なのか 、 七 日 の 法ほう
会え |
死者の供養のため、十三仏
(不動・釈迦・文殊もんじゅ
・普賢ふげん ・地蔵・弥勒みろく
・薬師やくし ・観音・勢至せいし
・阿弥陀あみだ ・阿?あしゅく
・大日・虚空蔵こくうぞう )
のうち薬師仏までを七日ごとに絵を描いたり、木像を造ったりすること。観音からは順に百日・一周忌・・・・・の時に行った。 |
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南な
無も 当とう
来らい 導どう
師し |
「南無」
はすべてを任せてすがるという意味。つまり、当来導師 (弥勒菩薩) へ帰依すること。 |
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南なん
殿でん の 鬼 |
太政大臣藤原忠平が若い頃、帝の命で南殿
(紫宸殿) の玉座のうしろを通りかかったところ、鬼が忠平の太刀を捕えたが、一喝して退散させたという逸話。 (『大鏡』
忠平伝) |
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西にし
の 京きょう |
京を朱雀大路によって東西に分けた西半分
(左京) 。当時は、低湿地で人もあまり住んでおらず、荒れていた。 |
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女によう
御ご |
天皇の夫人。皇后・中宮に次ぐ地位。通常、皇族及び摂政・関白・大臣の家の娘がなる。 |
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女によう
房ぼう |
宮中・院中で、部屋を与えられて仕える女官。また、貴人の家に仕える侍女。 |
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幣ぬさ
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旅の道中、旅人を守る神である道祖神に奉る幣帛。色とりどりの布や紙を小さく切ったもの。 |
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野
分のわき |
秋、二百十日・二百二十日ごろに吹く、はげしい風。台風。 |
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陪ばい
膳ぜん |
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袴
はかま 着ぎ
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初めて袴をつけるときのお祝いの儀式。三〜七歳の間に行う。皇子の場合は、天皇が腰結の役にあたることが多い。 |
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盤ばん
渉しょう 調ちょう
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雅楽の 「六調子ろくちょうし
」 の一つ。盤渉 (西洋音階のhに近い) を主音とする短調的な旋律。冬の調子で、軽い音調。 |
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被ひ
甲こう 護ご
身しん 法ぽう
の 修す 法ほう
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密教の、心身を守護する修法。印を結び陀羅尼を唱える。 |
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