〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/12/16 (水) 

源 氏 物 語 と は

「源氏物語」 は、日本が世界に誇る文化遺産として、筆頭に挙げてもいい傑作長編の大恋愛小説である。
現代に生きている私たちは、傑作長編小説といえば、トルストイの 「ナンナ・カレーニナ」、 ドストエフスキーの 「罪と罰」 、フローベルの 「ボヴァリー夫人」 、スタンダールの 「赤と黒」 、プルーストの 「失われた時を求めて」 等々が、すぐ頭に浮かぶ、ところがそれ等の西洋のどの小説よりも早く、八世紀も昔の東洋の日本に、 「源氏物語」 は誕生していたのである。
今から千年も昔、わが国の王朝華やかなりし平安時代に、紫式部という子持ちの一寡婦の手によって、その偉業が果たされていた。
小説が傑作と評価されるには様々な条件が求められる。
内容の面白さ、文章のよさ、登場人物の魅力、読後に余韻を引く深い感銘等々であろう。 「源氏物語」 は、それ等のすべてを具えていた。
内容は光源氏と呼ばれる稀有な美貌の持ち主で、文武両道あらゆる才能に恵まれ、妖しいほど魅力的な上、人並み以上に多感好色な一人の皇子を主人公としている。
彼の生涯に愛した個性的で魅力に富んだ女たちを、その周りに配し、目まぐるしく起こる恋愛事件の様相や、恋人たちの運命の喜憂のすべてを、詳細なディテールと行き届いた緻密な心理描写と共に、余すところなく描ききったものである。
巻頭には、光源氏の、生前の父帝と生母の恋が据えられ、光源氏の死後は、その孫の世代の恋愛事件にまで筆が及んでいる。従って光源氏を中心とした四代にわたる恋愛長編小説ということのなる。
一帖ごとに帖名をたてた全五十帖は 「桐壺」 の帖から 「夢浮橋」 まで現代の四百字詰原稿用紙では、大方四千枚に達する量である。登場人物の数も四百三十人に及んでいる。
作者は紫式部一人ではなく、複数かも知れないという説もあるのは、これだけの壮大華麗な傑作が、到底一女性の手では書ける筈がなかろうという、男性研究者の想像と仮説から出たもので、根拠はない。
作者の創作日記というものが残されていないので、紫式部一人の作とは、断定的証明は出来ないものの、今に至るまで、複数説を納得させる確たる証拠も現れていない。
紫式部は、 「源氏物語」 の他に、自選と思われる自作の歌を集めた家集 「紫式部集」 と、随筆風の 「紫式部日記」 を残している。この二つは、彼女個人の作に間違いない。
「紫式部日記」 の中には 「源氏物語」 の名も度々現れているし、寛弘五年 (1008) 十一月一日の条に、藤原公任きんとう が、式部の控えている部屋の御簾みす の隅から、 「あなかしこ、このわたりに若紫やがびらふ」 と言って覗いたという話しも書きとめてあり、それに対して紫式部は 「源氏に似るべき人も見えたまはぬ」 と思ったと書いている。これは、紫式部が宮仕えしていた一条天皇の宮廷では、廷臣たちの間でも、「源氏物語」 が読まれ評判になっていて、少なくとも 「若紫」 の帖まではすでに書かれていて、作者は紫式部と目されていたことが証明されたものである。
また同じ日記の中に、 一条天皇が侍女に 「源氏物語」 を読ませてお聞きになり、「この人は日本紀を読んでいるに違いない、ほんとうに学才があるようだ」 と、ほめられた話しもあり、それを妬んで同輩の女房たちから 「日本紀にほんぎ御局みつぼね 」 とあだ名をつけられた話も書き残している。
それらを合わせ見ても、紫式部作というリアリティはある。
今では、紫式部一人の作という説で落ち着いている。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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