〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/12/14 (月) 

若 紫 (二十七)

姫君は何も知らずに寝ていらっしゃるのを、源氏の君が抱きあげてお起しになったので、目を覚まされ、父宮がお迎えにいらっしゃったものと、寝ぼけたままお思いになるのでした。源氏の君は御髪をなでつくろったりしておあげになって、
「さあ、いらっしゃい、父宮のお使いで参りましたよ」
とおっしゃいますと、姫君ははじめて相手を父宮ではなかったと、気がついてびっくりなさり、恐ろしそうにしていられます。
「何となあ情けない、わたしも父宮も同じですよ」
と仰せになりながら、姫君を抱きかかえて出ていらっしゃいましたので、惟光や少納言などは、
「これはまあ、どうなさいます」
と申し上げます。
「こちらへ、始終お訪ねすることも出来ないのが気がかりだから、気のおけないわたしの邸へとお誘い申し上げておいたのに、情けないことに、父宮のお邸へお移りになるそうだから、そうなっては、ますますお便りも出来にくくなるだろう。とにかく誰か一人お供しなさい」
とおっしゃいますので、少納言はうろたえきって、
「今日は何としても都合が悪うございます。父宮がお越しになりましたら、何と申し開きしてよろしいやら。そのうち自然、時がたちましてから、そのような御縁がおありでしたら、どうなりとななれましょう。あまり突然で、私どもには何の思案の閑もございません。これでは私ども女房たちが困ってしまいます」
「と申し上げますと、
「それならいい。今は誰も来なくても、女房は後から来ればよい」
と、お車を縁側にお召し寄せになられますので、女房たちはあまりのことに驚きさきれて、どうしたらよいものやら、もんな途方にくれています。
姫君も、気味が悪く、怖くて泣いていらっしゃいます。少納言も、これではとてもお止めする方法もないと考えて、昨夜縫い上げたばかりの姫君のお召物などをあわててかかえて、自分も身なりを改めて、そそくさとお車に乗り込みました。
二条の院はそこから近い所なので、まだ明るくならないうちに到着して、西のたい にお車を寄せてお降りになりました。源氏の君は姫君をいかにも軽々と抱き上げて降ろされます。少納言は、
「まだ、まるで夢を見ているようでございますが、わたしは一体どうしたらよろしいのでございましょう」
と、車の中でためらっております。
「それはそちらの心まかせだよ。御本人はもう、お連れ申し上げたのだから、そなたが帰るというなら送ってあげよう」
とおっしゃいますので、少納言は仕方なく車から降りました。なにしろ急のことでまだ茫然としたまま、少納言は胸がどきどきして静まりません。これを知った時の父宮のお怒りや、姫君がこの先どうおなり遊ばすお身の上かと思うと、心配でたまらず、とにもかくにも頼りになる人々に先だたれたのが、姫君の御不運なのだと思うにつけ、涙のとまらないのを、少納言はさすがに新しい門出に不吉なので、必死にこらえています。
西の対は、普段御使用なさらないので、御帳台などもありません。惟光をお召しになって、御帳台や、お屏風などを、あちら、こちらに用意させ、お立てさせになるのでした。御几帳みきちょう帷子かたびら を引き下ろし、御座所ござしょ は敷物などをちょっと敷けばいいようなので、源氏の君の常の御座所の東の対から、夜具などを持って来させて、お寝みになりました。
姫君はたいそう気味が悪くて、どうされるのかしらと、震えていらっしゃいます。さすがに声をあげてお泣きにもなれず、
「少納言のところで寝たい」
とおっしゃる声が、たいそうあどけないのです。
「もう、これからは、そんなふうに乳母と一緒に寝たりしては、いけないのですよ」
と源氏の君がお教えになりますと、姫君は悲しさをこらえきれず、泣きながら寝ていらっしゃいます。
少納言は心配で横になるどころではなく、茫然自失の有り様で起きていました。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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