〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/12/10 (木) 

若 紫 (十七)

源氏の君は二条の院にお帰りになって、泣きつづけながら、終日お寝みになってお過ごしになられました。
お手紙をさしあげても、いつものように藤壺の宮は、お手にも取って下さらないと、王命婦から伝えられておりますので、お返事がないのはいつものこよながら、今朝ばかりはあまりに辛くて、悲しさの余りしおれきって、宮中へもお上がりにならず、そのまま、二、三日籠り続けていらしゃるのでした。
帝が、これはまたどうしたことかと、御心配遊ばされるにちがいないと思われるにつけても、犯した罪をひたすら空恐ろしいこととお思いになります。
藤壺の宮も、やはり何という情けない宿世の身の上なのかと痛感され、嘆き悲しまれますので、御病気もなたひとしをk悪くなられたようでした。早く参内遊ばすようにと、帝からのお使いがしきりにございますけれど、とてもそういうお気持にもおなりになれないのでした。たしかに今度の御気分の悪さはおつもとは様子が違っているように思われるのは、どうしたことかとお考えになりますと、もしやと、人知れず思い当たられることもおありなので、いっそう情けなくお辛くて、この先どうなることかとばかり、心も千々に乱れ苦しんでいらっしゃいます。
暑い間はなおさら起き上がることもお出来になりませんでした。御懐妊も三月みつき になられますと、もうはっきりと人目にも分かるようになって、女房たちがそれをお見かけして怪しみますので、こんなことになった御身の御宿世おんすくせをつくづく浅ましくお辛くお嘆きになられるのでした。
まわりの女房たちは、源氏の君とのみそ かごとなどは思いも寄らないことなので、
「この月まで、どうして帝に御懐妊のことを御奏上なさらなかったのでしょう」
と、不審に思っています。藤壺の宮お一人のお心の中では、はっきりと源氏の君のお子を宿したと思い当たられることもおありなのでした。
お湯殿などにもお側近くお仕えしていて、藤壺の宮のどのようなお体の御様子もはっきり存じあげている乳母子めのとごべん や、例の王命婦などは、さてはと思うものの、お互い口にすべきことではありませんので、こうなったのはどうしてものがれることのお出来にならなかった御宿縁だったのだと思い、王命婦は呆れ恐れるばかりでした。
帝には、物の怪のせいでまぎらわしくて、御懐妊のしるしも、すぐにははっきりしなかったように奏上なさったのでございましょう。周囲の女房たちもみな、そうとばかり信じていました。
帝は御懐妊なさった藤壺の宮をますます限りなくいとしくお思い遊ばされて、お見舞の勅使が絶え間なく訪れるのでした。藤壺の宮にはそれさえそら恐ろしくて、御悩みのとだえる閑もありません。
源氏の君も、この頃異様なおどろおどろしい怪しい夢を御覧になられて、夢占いをする者をお召しになってお尋ねになりました。夢占いは、帝王の父なるなどと、途方もない意表外のことを、夢の意味として、解いてみせたのでした。
「ただし、その御幸運の中につまづきごとがあって、御謹慎遊ばさねばならぬこともございましょう」
と占いますので、源氏の君はこんな占いをさせて厄介なことになったとお思いになって、
「これはわたし自身の見た夢ではない。ほかのお方の夢の話なのだ。この夢が実現するまで、決して他言してはならぬ」
とお命じになって、お心のうちでは、一体これはどうしたことだろうろ考えつづけていらっしゃいました。そこへ藤壺の宮の御懐妊の噂をお聞きになられましたので、もしや御自分のお子ではないかと、夢のことをお考え合わされたのでした。それからはいっそうせつないお言葉の限りを尽くしてお手紙をさしあげますけれど、取りつぐ王命婦にしても考えるだけでもほんとうに恐ろしくて、つくづく面倒なことになったと困りきって、どう計らっていいか途方に暮れるばかりでした。これまでは、藤壺の宮からもほんの一行ほどのお返事がたまさかにはありましたのに、それさえ、今はすっかり絶え果ててしまいました。
源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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