藤壺の宮のお加減がお悪くなられて、宮中からお里へお下がりになられました。 帝が気をもまれ、御心配遊ばしてお嘆きになる様子を、源氏の君は心からおいたわしいと拝しながらも心の一方では、 「こんな機会を逃してはいつお逢い出来よう」 と、心も上の空にあこがれ迷い、ほかの通いどころへは、どこへもいっさいお行きにならず、宮中でもお邸でも、昼はぼんやりと物思いに沈み、日暮れになれば、藤壺の宮の女房の王命婦に、逢瀬おうせ
の手引きをしてくれるようにと、追い廻し、せがみつづけられるのでした。 そのうち、王命婦がどんな無理算段をしたものか、まわりの人も目をかすめ、ようやく宮の御帳台までお引き入れしたのでした。 源氏の君は夢の中まで恋いこがれていたお方を目の前に、近々と身を寄せながらも、これが現実のこととも思われず。無理な短い逢瀬がひたすら切なく、悲しいばかりです。 藤壺の宮も、あの悪夢のようであったはじめてのあさましい逢瀬をお思い出しになるだけでも、一時も忘れられない御悩おんなや
みにさいなまれていらっしゃいますので、せめて、ふたたびはあやまちを繰り返すまいと、深くお心に決めていらっしゃいました。 それなのに、またこのようなはめに陥ったことがたまらなく情けなくて、耐え難いほどやるせなさそうにしていらっしゃるのでした。 それでいて源氏の君に対しての御風情はいいようもなくやさしく情のこもった愛らしさをお示しになります。そうかといって、あまり馴れ馴れしく打ち解けた様子もお見せにならず、どこまでも奥ゆかしく、こちらが気恥ずかしくなるような優雅な御物腰などが、やはり他の女君とは比べようもなく優れていらっしゃいます。 「どうしてこのお方は少しの欠点さえ交じっていらっしゃらないのだろう」 と、源氏の君は、かえって恨めしくさえお思いになられるのでした。 心に積もるせつない思いの数々の、どれほどがお話出来ましょうか。 源氏の君はこの夜こそは、永久に夜の明けないという
<暗部くらぶ の山>
にでもお泊りになりたそうなお気持ですけれど、あいにくの夏短夜みじかよ
は、早くも白みはじめ、あきれるほど物思いがつのろ、これではかえってお逢いにならない方がましなくらいの、悲しい逢瀬なのでした。 |
見てもまた
逢ふ夜まれなる 夢のうちに やがてまぎるる わが身ともがな (ようやくお逢いできたものの 再びお目にかかれる夜は ありそうもないのだから
いっそうれしいこの夢の中で わたしはこのまま消えてしまいたい) |
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と、涙にむせかえっていらっしゃる源氏の君の御様子にも、藤壺の宮はさすがにお可哀そうでいたましく、 |
世語りに
人や伝へむ たぐひなく 憂き身をさめぬ 夢になしても (後々の世まで 語り草にされないかしら またとないわたしの辛い身を
たとい永久に覚めない 夢の中に消してしまっても) |
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とお返しになり、お悩みのまり取り乱していらっしゃる藤壺の宮の御様子も、ごもっともなことなので、恋に理性を失った源氏の君のお心にももったいなく感じられるのでした。 王命婦が、源氏の君の脱ぎ捨てておかれていた御直衣おんのうし
などを、かき集めて御帳台の内に持ってまいりました。 |