源氏の君は、あの北山の若草のような少女の生い育っていくさまを、そばで見守りたいものだとお考えになりましたが、まだ結婚には適当でない年頃と尼君たちが思っていらっしゃるのも、もっともなことだし、 「たしかに幼すぎて姫君には言い寄り難い。何とか手だてを講じて、すんなり穏便にこちらへ引き取り、明け暮れ眺めて心の慰めにしたいものだ。兵部卿の宮は、たいそうお上品で、優雅でいらっしゃるけれど、つややかな美しさなどはないのに、あの姫君はどうして御一族の藤壺の宮に似ていらっしゃるのだろう、父宮と藤壺の宮がやはり同腹の御兄妹のせいだろうか」 などとお思いになります。それにつけても、あの幼い姫君と藤壺の宮が姪と叔母という深い関係だと思うとますますぜひ何としてでも姫君を引き取りたいと深くお思いになるのでした。 明くる日、北山の僧都にお手紙をお上げになりました、僧都にもこの件についてほのめかされたようでした。尼君には、 「相手にもして下さらなかった御態度の冷たさに気おくれいたしまして、思っていることも充分にお話出来なかったことが残念でなりません。こてほどまでにお願い申し上げますのも、一通りではない姫君への愛情の深さをお察し下さいましたなら、どんなにか嬉しいかと思いまして」 などお書きになりました。中に若草の君あてに、ことさら小さな結び文にして、 |
おもかげは
身をも離れず 山桜 心の限り とめて来しかど (あの山桜の花のような 美しいあなたの面影が わたしの身を離れない 心のありったけを
そちらに残してきたけれど) |
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「夜の間の風にも、花が吹き散るのではないかと心配でなりません」 と書かれていました。御筆跡のお見事なのは言うまでもなく、さりがなくお包みになったお手紙の体裁まで、、女盛りをとうに過ぎた尼君たちの目には、まばゆいほど好ましく映るのでした。 「まあ、困ったこと、何とお返事申し上げたらいいのでしょう」 と、尼君は思案にくれるばかりでした。お返事には、 「先日、お発ちの節のお話は、軽い御冗談のように承っておりましたのに、わざわざまたこのようにお手紙を賜わりましては、申し上げようもございません。姫はまだ幼くて手習いはじめの
<難波津> の歌さえ満足には書き続けられないにのですから、どうしようもございません。それにしましても、 |
嵐吹く
尾上 の桜 散らぬ間を こころとめける
ほどのはかなさ (激しい嵐が吹いて やがては散ってしまう 峯の桜の散らない間だけ お心をとめられてお気持は ほんの気まぐれなのでは) |
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いっそう心配なことでございます」 と書いてありました。 |