奥に居た女房は、思いがけないことと思ったようですけれど、聞こえぬふりも出来かねて、にじり出て来る人の気配がします。その女房は少し身を引いて後もどりしかけて、 「変ですわ、やっぱり空耳だったのかしら」 とさぐっているのをお聞きになり、 「み仏のお導きは、暗いところに入っても決して間違わないと、お経にもありますのに」 とおっしゃいます。その声がたいそう若々しく上品なので、女房はお答え申し上げる自分の声づかいも恥ずかしくなって、 「どちらの方へご案内すればよろしいものやら、わたしにはとんと分かりかねます」 申し上げます。源氏の君は、 「全く、突然のことであなたが何のことやらお判りにならないのももとtもですが、 |
初草の
若葉の上を 見つるより 旅寝の袖も 露ぞかわかぬ (初草の若葉のような 可愛いあの人を見てからは 旅寝のわたしの衣の袖も
恋しさの涙に濡れて 乾く閑もない) |
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と、申し上げて下さいませんか」 とおっしゃいます。 「そんなお歌を頂戴いたしましても、御理解出来るようなお方は、ここにはいらっしゃらないのを、あなたさまもご存じの筈でございましょうに、いったいそのお手紙をどなたに」 と、申し上げます。源氏の君は、 「こうまでいうのは、当然、それだけのわけがあってのことと、お考えになって下さい」 とおっしゃいますので、女房は奥に入って、尼君に伝えました。尼君は、 「まあ、何て当世風ななされ方。この幼い姫を、恋の情の分かる年頃だとでも、お思いなのかしら。それにしても、わたしの詠んだあの若草の歌を、どうしてお耳になさったのだろう」 と、いろいろ不審なことばかりなので、気持が乱れて、御返歌が遅くなるのも、失礼だと恐縮します。 |
枕ゆふ
今宵 ばかりの 露けさを 深山みやま
の苔こけ に くらべざらなむ (旅の仮寝の一夜だけ
流す涙の露けさを いつも深山に濡れて泣く 乾かぬ苔の露けさに くらばてなぞはほしくない) |
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「わたしどもの袖の涙も乾き難うございますものを」 と、御返歌いたします。源氏の君は 「こうした人を介してのご挨拶など、わたしは一度もしたことがありません。はじめての経験です。恐縮でもこういう機会に直接お目にかかって、まじめにお話申し上げたいことがございます」 とおっしゃいます。尼君は、それを聞かれて、 「何かあの子のことでお聞き違えをなさっているのでしょう。こちらがきまりが悪いほど御立派なお方に、どうしてお返事が出来ましょう」 とおっしゃいます。女房たちは。 「それではあちらさまが失礼だとお思いになりましょう」 と申します。 「ほんに、そうかもしれません。若い者なら恥ずかしくていやかもしれないけれど、わたしのような年寄りに、本気でおっしゃって下さるのに、もったいないことです」 と言って源氏の君の方へにじり寄って来られるのでした。 |