若 紫
(八) | 「それはたいそうお可哀そうなことでしたね。そしてそのお方には、残された忘れ形見の方もおありでなかったのでしょうか」 と、あの幼い少女の身の上を、もっとたしかめたくてお訊きになります。 「亡くなりました頃、一人生まれていました。それも女の子でした。それにつけてもその子が苦労の種になると老い先も短い尼は、今だに嘆いておりますようで」 と申し上げます。やはりそうだったのかと源氏の君はお思いになります。 「ところで妙なことを申し上げるようですが、その幼い方のお世話の後見役に、わたしをお考え下さるよう、尼君にお話願えないものでしょうか。実は考えていることもございまして、結婚している本妻もありながら、どうも心にしっくりしないせいか、ほとんど独り暮らしをしております。まだ姫君はお小さくてそんなお年頃でもないのにとお考えになって、わたしを世間の好色な男並にお思いになられますと、実に心外なのですが」 などとおっしゃいますと、 「それは大変嬉しいはずのお言葉ではございますが、なにぶん、あの子はまだ一向に幼稚なように見えますので、御冗談にもお相手に遊ばすことは無理かと思われます。もともと、女と申すものは、何かと人に世話をしてもらって、一人前に成人いたすものでございますから、僧侶のわたしなどから詳しいお返事はいたしかねますが、いずれ、祖母の尼に相談いたしまして、尼からお返事申し上げるようにさせましょう」 と、よそよそしく言って、堅苦しい態度におなりでしたので、源氏の君は若いお心に恥ずかしくなられて、僧都にそれ以上うまくお話がお出来になりません。 「阿弥陀仏のおいでになるお堂で、お勤めする時刻になりました。初夜
のお勤めをまだしておりませんので、それをすませてからまた参りましょう」 と言って、お堂に上がっていかれました。 源氏の君はご気分も、たいそうお悪いところへ、雨が少し降りそそぎ、山風も冷ややかに吹き、滝の水嵩も増したらしく流れの響きも高く轟き聞こえて来ます。雨風や滝の水音も交ざったすこし眠たそうな読経どきょう
の声が、絶え絶えもの淋しく聞こえてきますと、物の情趣に鈍い人でも、場所柄、そぞろに身に染みてかんじます。ましていろいろと思案なさらなければならない悩みをたくさん抱えられた源氏の君は、なかなかお寝みにもなれません。 僧都は初夜そや
と言いましたけれど、いつの間にか夜も深く更けてしまいました。 奥の方でも、まだ人の起きている様子がありありとあります。人々はたいそうしのびやかに物音を立てぬようにしているらしいのですが、数珠じゅず
が脇息に触れてさらさらと鳴る音が、ほのかに聞こえてなつかしく、やさしい衣ずれの音がする気配も、いかにも品がいいとお聞きになるのでした。 この僧房は狭いので、気配や物音がそrては近くお感じになられます。源氏の君は部屋の外に立てめぐらせれある屏風びょうぶ
の中程を少しお引き開けになり、扇を鳴らして人をお呼びになりました。 |
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