若 紫
(七) | 僧都の坊は、なるほど同じ草木にしても心遣いして風情のあるように植えてあります。月もない頃なので、遣水のほとりに篝火
をともし、燈籠とうろう などにも火が入れてありました。南側の部屋を座席としてたいそう立派に用意してあります。室内には、空薫物そらだきものがほのかに漂っていて、仏前の名香みょうごう
の香りも部屋に匂いみちています。その上、源氏の君のお召し物にたきしまた香までもが、風にただよい送られて来ますのが、とりわけすばらしい匂いなので、奥の部屋に居る女房たちも、何となくそわそわして緊張しているように見えます。 僧都は、この世の無常にお話や、来世のことなどをお聞かせになります。 源氏の君は御自分の人知れぬ罪の深さも恐ろしく、そうはいっても、どうしようもなくあきらめられぬつらお思いに心を締め付けられて、 「子の世に生きるかぎり、この秘密の恋に苦しみ悩まねばならないのだおる。まして死んだあの世ではどんな劫罰ごうばつ
を蒙ることやら」 と思いつづけていらっしゃいます。 いっそ出家遁世して、このような山住みの暮らしもしてみたいものだとお考えになるのですが、昼間御覧なった可憐な少女の俤おもかげ
がお心にかかり恋しいので、 「こちらにお泊りになっていらっしゃるのはどなたでしょうか。そのお方のことをお尋ねしたくなるような夢を、以前に見たことがございます。その夢のことが、今日はたと、思いあたりまして」 とおっしゃいますと、僧都は笑って、
「どうも突然な夢のお話でございますね。折角お尋ねくださいましても、素性がわかるとかえってがっかりばさるにちがいございません。故按察使あぜち
の大納言だいなごん、と申しましても、亡くなりましてからずいぶん久しくなりますので、御存知ではいらっしゃらないでしょう。その北の方が、実はわたしの妹でございます。按察使の死後、出家いたしましたが、最近病気がちになりましたので、こうして京にも出ず山籠りしているわたしを頼って参り、この山に籠っているのございます」 と申し上げました。 「あの大納言には、たしか御息女がいらっしゃったと伺っておりましたがどうなさいましたか。こんなことをお訊きしますのも決して浮ついた気持からではなく、まじめにお伺いしているのです」 と当て推量におっしゃいますと、 「娘はただ一人ございました。それも亡くなりまして、もう十年余りになることでしょう。故大納言は、入内じゅだい
させようなど心がけてとりわけ大切に育てておりましたが、その思いをとげぬうちに他界してしまいました。その後、ただ母の尼君ひとりがその娘をたいそう大切に世話しておりましたところ、誰が手引きいたしましたことやら、兵部卿ひょうぶきょうの宮みや
がいつの間にかひそかにお通いなさるようになりました。宮にはもとから北の方がいらっしゃいましたが、高貴な御身分のお方でございまして、娘は何かと辛いことが多くなり、明けても暮れても思い悩んだのでしょうか、とうとうそれがもとで病にかかり、亡くなってしまいました。心痛からでも、病気になるものだということを、目の当たりに見たことでございました」 など話します。それなら、あの少女はその亡き人の子だったのだと源氏の君は御納得なさいます。 兵部卿の宮のお血筋なので、宮の御妹の藤壺ふじつぼ
の宮みや にもよく似ているのだろうかと、いっそうお心が惹かれ、しみじみといとしく思いをそそられます。少女の人柄も上品で美しく、なまなかな利口ぶったところがありません。一緒に暮して、自分の思い通りに理想的な女に教え育ててみたいものだとお思いになるのでした。 |
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