若 紫
(四) | 春の日はたいそう長くて所在ないので、夕靄
にあたりが霞んでいるのにまぎれて、源氏の君はあの小柴垣のあたりにお出かけになりました。 他の供人はみんな帰して、惟光これみつ
とふたりだけで覗いて御覧になりますと、つい目の前の西側の部屋に持仏じぶつ
をお据えして、お勤めしている尼がいました。部屋の簾すだれ
をすこしあげて、み仏に花をお供えしている様子です。中柱に寄りかかって坐り、脇息きょうそく
の上に経を置き、いかにも病身らしく弱々しく誦経ずきょう
しているその尼君は、見るからに相当の身分の人らしく見えます。四十余りでしょうか、たいそう色白で痩せていますけれど、頬などはふくよかに、目もとや、尼そぎの髪の美しく剪き
り揃えられた端なども、 {かえって長い髪よりも当世風に見えるものだな」 と、源氏の君はしみじみと御覧になります。 小ざっぱりしとた年輩の女房が二人ほどいます。ほかに女童が出たり入ったりして遊んでいます。 その中に十ぐらいでしょうか、白い下衣に、山吹襲やまぶきがさねの着馴らしたのを重ねて、こちらへ走って来た女の子は、そこにいたほかの子供たちとは、似ても似つかず、成人した将来がさぞかしと思いやられるほど可愛らしし顔立ちをしています。髪は扇をひろげたようにゆらゆらして、泣き顔を真っ赤にこすって立っています。 「どうしたの。子供たちと喧嘩でもなさったの」 と言いながら、尼君が見上げた面ざしに、女の子が少し似通ったところがあるのは、たぶん尼君の子なのだろうと源氏の君はお思いになります。 「雀の子を、犬君いぬき
が逃がしてしまったの、伏籠ふせご
の中にしっかり入れておいたのに」 と、女の子がさも口惜しそうに言います。そこにいた女房の一人が、 「またいつもの、ぼんやりさんがそんな失敗をしでかして、姫君に叱られるなんて、ほんとうにしようのない子だこと。雀の子はどこへ飛んで行ったのかしら、とても可愛らしくなって、ようようなついておりましたのに、烏などに見つけられたら大変ですわ」 と言いながら立って行きます。ゆらゆら動く髪がたいそう長く、見た目も美しい人のようです。 少納言しょうなごん
の乳母めのと と呼ばれているのをみると、この子のお守り役なのでしょう。 尼君は、 「まあ、何て子供っぽい。どうしてそんなに幼い子のように聞き分けがないのでしょうね。私の命が今日明日にもどうなるか分からないのに、それは何とも思わないで、雀なんかが欲しいのですね。生き物を飼うのは罪作りなことだと、いつも言って聞かせているのに、困ったものですね」 と言って、 「こちらへおいで」 と呼び寄せますと、その子は尼君の側へ来て畏かしこま
って坐りました。顔つきがたいそう可愛らしくて、眉のあたりがほのぼのと匂い、子供っぽく手で髪をかきやった額つきや生えぎわが、何とも言えず可愛らしいのです。これから成長していく先の楽しみな人だなと、源氏の君は目をお惹ひ
かれになります。 それというのも実は、限りもなく心を尽くして恋い慕っているお方に、この子があまりにもよく似ているので、つい目をとめられて見入ってしまったのだと、思われるにつけても、源氏の君はまず涙をこぼされるのでした。
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