源氏の君は寺へお帰りになり、勤行
をおつとめになりながら、昼になるに連れて、発作が起こるのではないかと、不安になられるのでした。お供は、 「何かと御気分をお紛らわしになって、御病気のことをお考えにならないのが、何よりよろしいようでございます」 と申し上げますので、うしろの山にお登りになって、京の方をご覧になりました。はるか遠くまで春霞がかかり、あたりの梢はぼうっと新芽が煙っているように見え、まるで絵に描いたような景色でした。 「こんなところに住む人は、自然の美しさを味わいつくして思い残すこともないだろうね」 とおっしゃいますと、 「こんな景色はありふれております。もっとさまざまな地方の海や山の自然をご覧になりましたなら、どんなにか君の御絵もめざましく御上達なさいましょう。富士山とか、何々嶽とか」 などと、申し上げる者もおります。また西国の風情のある浦々や海辺の景色について話しつづける者もありまして、何かと御気分をお紛らわしするのでした。 「近い所では、播磨はりま
の明石あかし の浦が、なかなかよろしゅうございます。特にこれという見所があるわけでもございませんが、ただ海原を見渡しただけでも、不思議なほどよその風景とはちがっていて、おだやかな感じのする所でございます。 前まえ
の播磨はりま の守かみ
は先頃出家して入道となっていますが、娘をひとり大切に育てておりまして、その邸というのが、何分にも大変な変わり者の偏屈でして、人づきあいを嫌い、近衛このえ
の中将ちゅうじょう の官を自分から捨てて、播磨の国守こくしゅ
に望んでなりました。ところがその国の人々にもどうやら侮られまして、 『何の面目あって、再び都に帰られようか』 と、剃髪してしまったのです。その後も、出家者らしく少しは人里離れた奥山にでも住むどころか、そんな海岸で豪勢に暮しておりますのは、常識外れにも見えますが、たしかに、播磨の国には、出家者の隠棲にふさわしい場所は方々にありますものの、あまり奥深い山里では、人家に遠くてもの淋しく、若い妻子がつらがることでしょうし、またひとつには、そこが自分の憂さ晴らしにもなる住まいなのでございます。 先頃、わたしも播磨の国に下向しましたついでに、様子を見がてら訪ねましたら、入道は京でこそ実力を認められないで悲運のようでしたが、田舎では、あたり一面広い地所を買い占めて、堂々たる邸宅を構えている様子が、何といいましても、国主の権勢と威光を借りてしたことですから、晩年を裕福に過ごせる財産も十分に用意しております。 後の世のてめの勤行も、熱心にしておりまして、出家してかえって品格も優ったように見うけられました」 と申し上げます。 |