右近は、 「どうして、わたしがお隠し申しましょう。ご自分が隠しておっしゃらなかったことを、お亡くなりになった後で、はしたなくお喋りしては、申し訳ないと思うからでございます。御両親は、はやくお亡くなりになられました。御父上は、三位
の中将と申し上げたお方でした。姫君をとても可愛がっていらっしゃたのですが、ご自分の御運のままならなさをお嘆きあそばすうちに、お命まではかなくなってしまわれました。 その後に、ふとした御縁で、頭の中将さまがまだ少将でいたした頃、お見初みそ
めになられて、三年ほどは熱心にお通いくださいました。ところが去年の秋ごろでございます。頭の中将さまの北の方の父君の右大臣のところから、たいそうな脅迫がましい恐ろしいことを申してよこされました。 元々、とても物怖ものお
じなさる気の弱いお方でしたので、どうしようもなく怖がられ脅えておしまいになり、西の京に、乳母が住んでおりましたのを頼って、こっそりそこへ隠れました。 そこもずいぶんむさ苦しい暮らしなので、お住み辛くなり、いっそのこと山里に引きこんでしまいたいとお思いになっていらっしゃいました。 ところが、今年からはそちらの方角が悪うございましたので、方違かたたが
えをしようということで、あのあやしげな五条のお宿においでになりましたのです。 そんなところをあなた様に見つけ出されて、恥ずかしくお嘆きのご様子でした。世間の人に似ず、極端に内気でいらっしゃって、恋の物思いにとらわれていらっしゃいましても、それを人にさとられるのを、とても恥ずかしがられて、いつも何気ないふうにふるまって、あなた様にもお逢いになっていらっしゃったようでございます」 と、話し出しました。源氏の君は、それでもやはり、頭の中将のあの話の常夏の女だったのかと、思いあわされて、ますます愛情が深まりました。 「幼い子の行方も知れなくなったと、頭の中将が悲しんでおられたが、そんな子がいたのか」 とお問いになります。 「はい。一昨年の春、お生まれになりました。女のお子でとても可愛らしゅうございます」 と話します。 「それで、その子はどこに居るのか、人には内密に、その子をわたしに預らせてくれないだろうか。何ひとつ残さずあっけなく亡くなったあの人の形見に、せめてその子を育てられたらどんなに嬉しいだろう」 とおっしゃいます。 「頭の中将にも知らせてあげたいけれど、今更言っても甲斐ない恨みを、きっとわたしが受けるだろう。何にしても、どっちみち、わたしがその子を育てるのに不都合はあるまいから、その子を世話している乳母などにも、わたしのとこではないように言いつくろって、連れて来てはくれまいか」 などとお話なさいます。右近は、 「それなら、ほんとうに嬉しゅうございます。幼い姫君が、あのさびしい西の京でお育ちになるのはお気の毒でなりません。五条の家ではしっかりお世話申し上げる人がいないというので、あちらに預けていらっしゃたのです」 と申します。 |