〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/12/02 (水) 

夕 顔 (二十四)

源氏の君の、こうした不審な夜な夜なのお出歩きを、女房たちは、
「みっともないことを遊ばしますわね。この頃は、いつもよりそわそわなさって、落ち着きのないお忍び歩きばかりがるづいていらっしゃいます。特に昨日などの御様子は、とてもご気分がお悪そうにお見受けしましたのに、どうしてこんなに、毎晩ふらふらお出かけなさるのかしら」
と、嘆き合っています。
源氏の君は、横になられるとそのままほんとうに寝ついておしまいになり、たいそう苦しがられて、二、三日たつと、いよいよ衰弱がひどくなられるようでした。
帝も、その様子をお聞きになり、この上もなく御心痛遊ばされました。御病気平癒へいゆ御祈祷ごきとう を、あちらでも、こちらでも、絶え間なくして大騒ぎしています。陰陽師おんみょうじの行う神の祭やはらい 、仏教の加持祈祷など、ありとあらゆる御祈祷がされ、その盛大な様子は言葉では語り尽くせません。
源氏の君は世に類稀な妖しいほどのお美しさでいらっしゃるので、もしかしたら長生きなさらないのではないかと、天下の人々がこぞって心配して、大変な騒ぎとなりました。
そんな重い御病気の中にも、源氏の君は、あの右近をお側にお呼びになり、部屋なども御自分の御座所近くにお与えになりお仕えさせております。
惟光は気も動転していますけど、強いて心を落ち着けて、女主人を失った右近が心細そうにしているのを、何くれとなく面倒を見て、御奉公が出来るように励ましているのでした。
源氏の君は少しでもご気分のよい時には、右近をお側に呼び寄せられて、ご用をおさせになりますので、右近も程なく他の女房にも馴染み住みつくようになりました。色の濃い喪服を着て、器量などはよいとは言えませんけれど、これといって特に見苦しくもない若い女房でした。
「考えられないほど短かったふたりの恋の縁に引かれて、わたしももう生きていられそうもない。お前は長年頼りにしていた主人を失って、さぞ心細いことだろうから、もしわたしに寿命があれば、すっかり世話をして慰めてあげようと思っていたのに、まもなく、わたしもあの人の跡を追って行きそうなので、心残りなことだ」
とひっそりとおっしゃって、弱々しくお泣きになります。右近は、今さら嘆いても仕方のない夕顔の女君のことはさて置いて、もしこの上、源氏の君までお亡くなりになったりすれば、どんなにもったいないことかと、心からお案じ申し上げるのでした。
二条の院のうちの人々は、御病気の重さに足を宙にしてあわてふためき、すっかり度を失っています。
宮中からの御使いは雨脚よりもいっそう頻繁になっています。帝がたいそう御心痛遊ばしお嘆きの御様子だとお耳になさるにつけても、源氏の君はあまりにももったいなくて、無理にもお元気になろうと努力なさいます。
左大臣も出来る限りお世話に奔走ほんそう なさり、毎日二条の院にお出かけになっては、様々の御介抱を尽くされました。その甲斐があったのでしょうか、二十日余りも、たいそうな重態でお患いでしたが、これといって余病も残さず、次第にご快方に向かわれるようになりました。
たまたま快くなられた日と、穢れを慎んでいらっしゃった三十日の忌み明けが重なりましたので、その夜、御心配遊ばしている帝のお心も畏れ多いので、源氏の君は久々に、宮中の宿直所とのいどころへ参内なさいました。
御退出の時は、左大臣が、御自分のお車で宮中へお迎えにいらっしゃって、源氏の君を左大臣邸へおつれしました。病後の御物忌おんものいみのことや何やかやと、うるさいほど厳重に御謹慎をおさせになります。御当人はまだぼうっと夢のようなお気持で、しばらくの間は別世界に生き返ったかのようにお思いになります。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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