源氏の君は日が高くなった頃にお起きになられて、御自分で格子をお上げになりました。庭はたいそう荒れはてて人影もなく、はるばると遠くまで見渡されます。庭の木々は不気味な古い大木になって鬱蒼
とそそり立っています。 庭先の草木などは、なおさらこれといった美しさもなく、庭一面は秋の野原のように淋しく見えます。池も水草に埋もれています。本当にいつの間に、こんなに恐ろしそうな不気味な廃園になってしまったのでしょう。 離れの棟の方には部屋などつくって、留守番の一家が住んでいるらしいのですが、こちらとは遠く隔たっています。 「すっかり人気ひとけ
も遠く気味の悪い所になってしまったものだ。まあ、もし鬼などが住んでいたとしても、わたしだけには手出しをしないだろうよ」 と、源氏の君はおっしゃるのでした。 その顔はまだ覆面のまま隠していらっしゃいます。女がそれをあんまり水臭いと思い、恨んでいましたので、たしかにこれほど深い仲になりながら、隠し事をするのも悪いとお思いになって、覆面の布を初めてお外しになりました。
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夕露に ひもとく花は
玉鉾たまぼこ の たよりに見えし
縁え にこそありけれ (夕べの露に花が開くように
わたしが今覆面を外し 顔をお見せするのも あの通りすがりの道で 姿を見られた縁じゃらだ) |
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「どうですか。白露の光と言ったわたしの顔は」 とおっしゃいますと、女は目にちらりと見て、 |
光ありと
見し夕顔の 上露うはつゆ は たそがれどきの
そら目なりけり (露に濡れ光るように 輝いて見えたお顔は 今近くで見ると それほどでもないあれは たそがれ時の見まちがい) |
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とかすかな声で言います。源氏の君はこんな女の歌まで、おもしろいとお思いになります。 すっかりおうちとけになられた源氏の君のお美しさは、世にまたとはなく、ましてこういう不気味な場所柄のせいかいっそうお美しく、鬼神に魅入られるのではないかと不吉にさえ感じられます。 「いつまでもあなたが名さえ教えてくれない他人行儀の恨めしさに、わたしも顔を見せないでおこうと思っていたけれど、さあ、今からでも名を明かしなさい。でないと、あんまり気味が悪い」 とおっしゃいましたが、女は、 「<海人あま
の子> なんですもの、名乗るほどの者ではございませんわ」 と言って、さすがに馴れ馴れしくはせず、はにかんでいる様子などは、たいそう甘えているように見えます。 「仕方がない、これも身から出た錆さび
だろう」 と怨んでみたり、また愛の睦言を交し合ったりして、終日お過ごしになってしまいました。 やがて惟光が探し当てて来て、果物などをさしあげます。右近に会えばあなたの手引きなのかと怨み言を言われるに違いないので、さすがに気が引けて、惟光はお側近くへはお伺いしません。 この女のために、こんなにまでして人目を忍びうろうろ歩き迷っていらっしゃる源氏の君のお執心ぶりが惟光にはおもしろくて、きっと、それだけの値打ちのある女なのだろうと想像するにつけても、自分が早く言い寄ることも出来たのに、君におゆずりしてしまうとは、我ながら心が広すぎたなどと、悔しがっているのは、何ともあきれたことでした。
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