〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/28 (土) 

夕 顔 (八)

それはそうと、あの惟光がお引き受けした覗き見の一件は、その後さらに詳しく事情をさぐってきて御報告いたしました。
「あの女の素性は、さっぱりわかりません。何でもたいそう世間に気がねして隠れ住んでいるように見受けられますが、所在なさのあまりに、若い女たちが南側の道に面した半蔀はじとみ のある建物にやって来ては、道に車の音がすると、覗いたりしているようです。
主人らしい女も、時々そこに来ているようでござうます。器量は、ぼんやり見えただけですが、たいそう可愛らしいとうでございます。
先日、先払いをしながら大路を通り過ぎる車がありましたが、それを覗いた女童めのわらわ が急いで、
右近うこんきみ さま、早く早くご覧なさい。中将さまが今、ここをお通りになりますわ』
と言いますと、猛一人の年輩の女房が出てきまして、
『まあ騒々しい』
と、手で制しながらも、
『どうして中将さまとわかったの、どれ、どれ、わたしも見てみましょう』
と言って、そっと覗きに来ます。その建物へ参るには打橋うちはし のようなものが渡してあって、そこを通るのです。ところが、その女房はあまり急いで来たので、着物の裾を物に引っ掛けて、よろけて倒れかけた拍子に、打橋から落ちそうになりました。
『まあ、この葛城かつらぎ の神様ったら橋作りの名人の筈なのに、あんてあぶなつかしい橋をかけてくれたのかしら』 と文句を言って、覗き見する気持もさまてしまったのでしょう。
『車の中のお方は御直衣おんのうし 姿で、随身たちもお供してました』
『あれは誰さんよ』
『こちらは誰さんだわ』
と、女童が名をあがているのを聞きましたら、みんな頭の中将さまにお付きの随身や小舎人童こどねりわらわなどでして、それだから頭の中将のお車に違いないと言っていました」
などと御報告します。源氏の君は、
「頭の中将かどうか、その車をたしかめて見たかったものだ」
とおっしゃって、もしかしたらあの家の女は、雨夜の品定めの折に、頭の中将が今も忘れられないと言っていた、あのあわれな常夏とこなつ の女なのではないだろうか、と思いつかれて、なおさらもっと知りたそうにいていらっしゃるので、惟光は、
「実はわたそもあの家の女房のひとりに、うまく言い寄りまして、家の中の隅々まですっかり見とどけておきましたが、ここにいるのはみんな朋輩ほうばい どうしだと見せかけて、わたしの前ではわざとそうした言葉づかいで話をしている若い女もいるのですが、わたしは空惚そらとぼ けてすっかりだまされたふりをして出入しております。向こうはうまく隠しきれたと思って、そこにいる小さな子供が、時々うっかり言いそこないをしそうになった時などにも、うまくごまかして、別に主人などいない様子を、無理につくろっておりました」
と話して笑っています。源氏の君は、
「尼君のお見舞に行くついでに、覗かせておくれ」
とおっしゃるのでした。
仮の住家にしたところで、あの家の様子では、これこそ、雨夜の品定めの時、頭の中将が軽蔑していた下の階級の女に違いないだろう。ところがそんな中に、思いがけない掘り出し物でもあったらなどとお考えになるのでした。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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