〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/27 (金) 

夕 顔 (二)

ようやく車を門内に引き入れて、源氏の君はお下りになりました。
惟光の兄の阿闍梨あじゃり や、娘婿の三河みかわかみ 、それに娘などが、老母の重態のため集まって来ていたところへ、源氏の君が、こうしてたまらま見舞いにお越し下さったことを、この上もなく有り難いことと思い、恐縮しきってお礼を申し上げます。尼君も起き上がって、
「もう今更、何の惜しくもないこの身でございますのに、これまでこの世を捨てられなかったのは、出家すれば君のお前に出てこのようにお目通りがかなわなくなるのではないかと、それだけが残念でためらっていたのでございました。受戒の御利益で、命をとみがえらせていただきまして、このようにい見舞い下さいましたお姿を拝見出来ましたので、今はもう、あの世へお連れ下さる阿弥陀様の御来迎ごらいごう も、心すがすがしくお待ちすることが出来そうでございます」
などと申し上げて、弱々しく泣くのでした。源氏の君は、
「この頃、病気がはかばかしくないと聞いていたので、いつもずっと心配していたのですよ。こんなふうに世を捨てて尼姿になられたのを見ると、ほんとうに悲しくて残念でたまらない。どうか長生きして、もっとわたしが高位高官に上る姿を見届けておくれ。その後で、九品くぼん 浄土の最高の世界にも、何の障りもなく生まれ変わられるのがいいせしょう。この世に少しでも恨みが残るのは、往生によくないことだと聞いています」
などと、涙ぐみながらおっしゃいます。
乳母などというものは、自分が養育したからには、少々出来のよくない子でさえおかしいぐらい申し分のない子のように思い込むのが常ですのに、ましてや尼君は、源氏の君のようなすばらしいお方を朝夕親しくお育て申した自分までが、大切に、有り難く思われますので、晴れがましくて、ただもうむやみに涙にくれています。子どもたちは、老母の泣くのを見苦しく思って、
「まるで捨てたこの世にまだ未練がありそうに、自分から泣き顔をさらしてみっともない」
と、互いに肩や肘ををつつきあって目くばせしあっています。
源氏の君は尼君の泣くのをしみじみあわれに思われて、
「わたしは幼かった頃、可愛がってくれるはずの人たちが、次々にわたしを捨てて亡くなってしまわれたので、それから後はいろいろな人に育ててもらったようだけれど、心から親身に思って馴れ慕ったのは、あなたよりほかにはなかったのですよ。大人になってからは、面倒な浮き世のきまりなどもあって、朝夕、逢うわけにもいかなくなり、思うように訪ねることも出来なかった。それでも長く逢わないでいると、心細く淋しくてたまらなかった。ほんとうに子が親を慕うように思っているので、<世の中にさらぬ別れのなくもがな> と歌われているのと同じ気持で、さけられない死別など決してあってほしくないとつくづく思っています」
などと、細やかにお話になられて、涙を押し拭われるお袖にたきしめた香の匂いが、部屋いっぱいにあふれるばかりに満ちわたります。
たしかに考えてみれば、この尼君は、稀に見る幸運な身の上だったのだと、それまで尼君の様子を見苦しいと思っていた子供たちも、みな涙にしおれてしまいました。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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