〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/27 (金) 

空 蝉 (七)

小君が車の後ろに乗って、二条にじょういん にお着きになりました。
源氏の君は小君に、今夜の一部始終をすっかり話しておやりになり、
「お前はやはり子供で役に立たないね」
と、お叱言こごと をおっしゃって、あの女のことを爪弾きしてお恨みになります。小君はお気の毒で、言葉もありません。
「あの人にあんまりほどく憎まれてしまったので、つくづく自分に愛想がつきはててしまった。せめて物越しにでも優しい言葉くらいかけてくれたってよさそうなものなのに。わたしは伊予の介にさえ劣っているというのか・・・・」
などと心外そうにつぶやかれます。
それでもあの女の脱ぎ捨てていった薄衣うすぎぬ小袿うこうちき を、恨みながらもさすがにお召物の下に引き入れてお寝になられるのでした。
小君を傍らに寝かせて、しきりに冷たい女のことで恨みごとをくどくどおっしゃりながら、また一方では、小君におやさしい言葉もおかけになるのでした。
「お前は可愛いけれど、つれないあの人の身内だから、いつまでも可愛がってやれそうもないね」
などと、真顔でおっしゃるので、小君はほんとうに辛がって、しおれています。
しばらく横になっていらっしゃいましたが、いっこうにお寝になれません。
すずり を急いでお取り寄せになって、お届けになるお手紙をわざわざ書くというふうではなく、さりげなく懐紙かいし に手習いのようにお書き流しになられるのでした。

空蝉うつせみ の 身をかへてける もと に なほ人がらの なつかしきかな
(蝉が抜け殻だけ残し 去ってしまった木 の下 で 薄衣だけを脱ぎ残し 消えてしまったあなたを 忘れかねているこのわたし)

とお書きになったのを、小君は懐に入れました。
もう一人の継娘の方も、どう思っているだろうと可哀そうには思われますが、あれこれ御思案のうえで、とくにお言伝もなさいませんでした。ただあの薄衣は、懐かしい人の移り香のしみついている小袿ですから、常におそばにお置きになって、眺めていらっしゃるのでした。
小君が紀伊の守の邸に着きますと、姉君は待ちかまえていて、きびしく叱りつけます。
「昨夜はあまりといえば呆れたことで、何とか逃げるには逃げたものの、人に疑われるに決まっています。いったいどうするつもりなの。ほんとうに迷惑千万なことですよ。お前のこんなたわいのなさを、あのお方だって、何とお思いになっていらっしゃることやら」
と、頭ごなしに叱りつけます。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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