〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/25 (水) 

帚 木 (二十五)

例のように、宮中で幾日もお過ごしになっていらっしゃる頃でした。口実になさるのに都合のよい方塞かたふたが りの日を、かねてからお待ちもうけていらっしゃって、その日を逃さず方違えと称してまたお出かけになりました。
急に宮中から左大臣邸へ退出なさる御様子をつくろい、その道の途中から、例の中川の家へお越しになります。紀伊の守は驚きましたが、自慢の遣水やりみず がお気に召されてのを、この上もなく名誉だと、恐縮して喜んでおります。
小君には昼から、こういう予定だからと、手はずを話してありました。小君は明け暮れ親しくおそばに召し使っていましたので、今夜も真っ先にお呼び出しになります。
女も、源氏の君からそういうつもりのお便りをいただいておりましたので、人をだますそんな苦心の手だてまでもなさってお訪ね下さるお心は、決して浅くはないと有り難く思うのでした。 けれども、お逢いして身も心も許して熱情にまかせると、自分のみじめな姿のすべてをお目にかけてしまうのも味気ない上、あの夢のように過ぎてしまったはかない一夜の嘆きを、またも重ねるのだろうかと、思い乱れています。
やはりこんなふうに、源氏の君のお忍びの訪れをお待ちするのは面映いので、小君が源氏の君に召されて立ち去った後で、
「ここは御座所にあまり近いので、気がひけます。わたしは気分が悪くて、こっそり肩や腰を叩いてほしいから、離れた所に行きましょう」
と言って、渡り廊下に、あの中将の君という女房のつぼね がありましたので、そこへこっそり身を隠すために移りました。
源氏の君は女の許に忍んでいくおつもりで、供の者たちを早く寝かせて、お手紙を持たせましたが、使いの小君は、姉の居所をつきとめることが出来ませんでした。あらゆる所を探し歩いて渡り廊下の下に入り込み、ようやく探し当ててたどりつきました。小君は姉のこういう仕打ちをあまりにも情けなく、ひどいと思って、
「ひどいなあ、源氏の君はわたしを、なんという役立たずの者だとお思いになるでしょう」
と泣き出さんばかりになって恨みます。
「お前こそ、どうしてこんなよくない心遣いをするのですか。子供のくせに、こんなことの取次ぎをするのは、たいそういけないことなのですよ」
と叱りつけて、
「わたしは気分がとても悪いので、女房たちに側にいてもらって、体を揉ませておりますと、源氏の君に申し上げなさい。お前がこんなところにうろうろしていたら、誰だって変だと怪しむでしょうよ」
と、きっぱり言いきって、心のうちでは、ああ、こんなふうに受領の妻という身分が決まってしまった境遇ではなく、亡くなった両親の思い出の残った生家にいて、たまさかにでも、源氏の君のお通いくださるのをお待ち申し上げるのだったなら、どんなに楽しいことだろうに。せっかくのお気持を強いて感じないふりを装ってはいるものの、どんなにか身の程知らぬ女とお思いになられるだろうと、自分で決心したことなのに、さすがに胸がねじれそうに痛く、あれこれと思い乱れてしまうのでした。 けれども、今はどうしようもない自分の宿世なのだから、あくまで情けのきつい、いやな女のままで押し通そうと、覚悟を決めたのでした。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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