〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/25 (水) 

帚 木 (二十三)

この頃は源氏の君は左大臣邸にばかりおいでになります。やはりあれきりずっと音沙汰もしていませんので、女がどんなに思い悩んでいることかと、いとおしくお心にかかって、思い悩まれたあげく、紀伊の守をお呼び寄せになりました。
「あの、この間の衛門の督の子を、わたしによこしてもらえまいか。可愛らしい顔だちだったから、身近において召し使いたい。帝にもわたしからお話して殿上童にさせてあげよう」
とおっしゃいますので、紀伊の守は、
「それはほんとうに有り難いお言葉でございます。あの子の姉に、その仰せをお伝えしてみましょう」
と申し上げます。源氏の君はそれを聞くだけでも、思わずお胸がどきりとなさいますが、さりげなく、
「ところで、あの姉君は、そなたの弟を生んでいるのか」
とお聞きになります。
「いえ、そういうことはございません。父に添いまして二年ほどになりますが、親が宮仕えさせようと願っていた意向とは、違った境遇になってしまったと悔やみまして、当人はどうやら父との結婚を不服に思っているようにも聞いております」
「可愛そうに、娘時代は相当な器量よしと評判だったということだが、ほんとうにそんなに綺麗かね」
とお訊きになりますと、
「悪くはございませんでしょう。義母はは はわたしにはじめから冷淡な態度をとり全くよそよそしくします。世間の言い草にも 『継子と継母は近づかない方がいい』 とか申しますように、わたしもつとめて敬遠しております」
と申し上げます。
それから五、六日して、紀伊の守が、あの少年を連れて参りました。よく見れば、取り立てて特に美しいというほどではないのですけれrど、どこやら物腰に優雅なところがあって、貴族の子弟らしく見えます。
お側近くに召し寄せて、小君こぎみ とお呼びになり、たいそう親身にお話かけになりますので、子供心にも、源氏の君をとても御立派なお方だと、嬉しく有り難く思うのでした。
姉君のこともいろいろくわしくお訊きになられます。小君はお答え出来ることは、きちんとお返事申し上げたりして、まだ小さいのに源氏の君が気恥ずかしいくらい落ち着いていますので、話を切り出しにくいのです。
それでもたいそううまく取りつくろい、姉との関係をよく言い聞かせておやりになりました。
さてはふたりの間にそういうことがあったのかと、小君にもいくらかうっすらと分かってきて、意外な思いをするのですが、子供心には深い考えもなく、源氏の君に命じられるままに、お手紙を姉に届けたのでした。
女は浅ましさに涙さえあふれました。この弟もどう思っていることかとはしたなくて、それでもさすがにお手紙を突き返すわけにもゆかず、顔をかくすようにして、ひろげました。長々としたためられている終わりに、
見し夢を あふ夜ありやと 嘆くまに 目さへあはでぞ ころも経にける
(夢のようだった はかない逢瀬を 今一度夢にも見るかと 嘆くまま眠られぬ夜の またも過ぎゆく)

「恋しさをどうなぐさめたらいいのでしょう。<夢だに見えず る夜なければ> の歌の通りです」
などと書かれた、まばゆ いほどの御立派なお筆の跡も、涙に曇って女には読みきれないのでした。
受領の妻になった運命の上に、今また源氏の君に愛されて、思いがけないあやしい因縁が新たにまた一つ加わった自分の悲しい運命を思い続けて、女は打ち臥してしまうのでした。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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