「あまり突然のことで、いい加減な浮気心のようにとられても仕方がないけれど、長年ずっとお慕いしつづけてきたわたしの気持もお話して知ってほしくて、こういう機会を待っていたのですよ。こうなるのも、決して浅い縁
ではないと思ってください」 と、たいそう優しくおっしゃいます。それは鬼神でさえも荒々しい振舞などは、とても出来ないだろうと思われるほど優雅な御様子なのです。 「ここに、怪しい人が」 などと、はしたなく声をあげて、騒ぎ立てることも出来ません。そてでも女はただもう情けなくてたまらず、ずいぶんひどい御無体なお仕打ちだと思うと、あまりのことに呆れ果てて、 「お人違いでございましょう」 という言葉も、声にならないほどかすかでした。今にも消え入りそうにおののいている女の様子が、言いようもなく哀れで可憐なので、源氏の君はいっそういとしさがつのり、 「人違いなどするものですか。わたしの真実な恋心に導かれて来ましたのに、はぐらかしてわざと分からないふりをなさるとはあんまりのなさり様ですよ。決して軽薄な失礼な行為はいたしません。わたしの胸の思いを少しだけでも聞いていただきたいだけなのです」 とおっしゃりながら、たいそう女が小柄なので、抱きかかえて、襖口をお出になるところへ、さっき呼んでいた中将の君らしい女房が来合わせました。源氏の君が思わず、 「や」 と、お声を出されたので、その女房は怪しんで手探りで寄って来ましtら、源氏の君のお召物に焚た
きしめたかぐわしい薫りが、あたり一面に匂いみちて、中将の君の顔にまでただよいかかってくるように思われます。 中将の君はさてはと察しがつきましたが、驚きのあまり呆れ果てて、これは一体どうしたことかと気も転倒するばかりで、声のかけようもありません。 相手が普通の身分の男なら、荒々しく引き離すこともできましょう。が、そうして、騒ぎを聞きつけられ、大勢の人にこのことが知られたら、困ったことになるだろと、中将の君は心も上の空になり、ただお二人の後から追いすがって行くばかりです。 源氏の君は気にもおかけにならず、平然と奥の御寝所にお入りになってしまわれました。襖を閉め切ってから、 「明け方お迎えに来なさい」 とおっしゃるので、女は、中将の君がこの有り様をどう思うだろうと、死ぬほどつらく、しとどに流れる冷汗にまみれて、見るからに気分がたまらなく悪そうです。 その様子を御覧になってまた、たいそう不憫だとお思いになりますと、例によって一体どこから取り出されるお言葉なのか、しみじみ女の胸にしみいるように、この上もなく情愛をこめてこまやかにお口説くど
きになるのでした。それで女はやはりあまりのあましさに、ただもう恥ずかしく辛くて、 「こんなことは現実うつつ
のこととも思われません。どうせわたしなど、数ならぬ卑しい身ではございましても、これほど見下げつくしたお扱いを受けましては、どうして深いお心などと思えましょう。わたしのようなしがない身分の者にも、それなりの身分に応じた生き方がございます」 と、言って、源氏の君がこういう無理無体なお振舞をなさったのを、心の底から情けなく、つらく思い余っているようなので、源氏の君は、心から可哀そうにも、恥ずかしくもお思いにならてるのでした。
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